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それ志士仁人は、天下の憂に先つて憂ひ、天下の楽に後れて楽しむ、か
くて大塩平八は、燃ゆるばかりの感慨を、深くも洗心洞に 晦し、尚ほ
も回悟の時を待ちたるが、天保四年癸已歳以来は、春は来れども花咲か
ず、夏なほ寒き冬のこと禾稼凋落して五穀登らず、天明以来五十年、愈
よ茲に天保の飢饉とこそはんりにけれ、今年は暮れて、来る年も、亦来
る年も、風雨節を失ひ、寒暑序を乱だし、旱魃霖雨と打続き、河水汎濫、
田園荒蕪して、野には一本の青草なく、明の竈に煙絶え、隣間鶏犬の声
だにあらばこそ、餓孚路に横はり、また生残る窮民は、あなたこなたと、
身を浮草に流亡す、満目黯憺、原野蕩然として、荒煙晦霧、凝て散せず、
神人共に只これ涙なり。
此時大塩平八は、既に隠退の身となりて、専ら諸生に業を授けしに、時
の町奉行矢部駿河守定謙と聞えしは、賢明無双の良吏にて、深くも大塩
を持て力と恃みける程に、只此君をこそと、かけても頼みしが、幾く程
もなく江戸表に移られければ、今更に赤子の慈母を失ふ如く、誰惜まぬ
はなかりける、かゝる中にも尚ほ大塩先生の在るありと、只一筋に望を
こそは繋ぎけり、されば大塩平八、町奉行跡部山城守良弼に一通の封事
を奉り、世にも賢明の君、あはれ斯民救はせ給はれかし、其方法はしか
\゛/\と、青人草のためにとて、心のたけを尽せども、元来頑固の跡
部山城なれば、傲然として対ふるやう、天下の政道は下賤のものゝ容喙
すべき所にあらずと、嘗て一度も容れざるに、日頃癇癪強き平八は、怒
髪冠を衝き、眦は裂けて電の如く、さても非道なる俗吏の振舞かな、億
万の蒼生、誰れかは天子の民にあらざる、天下は将軍の天下にあらず、
頑迷奉行に依頼せざるとも、吾豈窮民を救済し得ざらんやと、かくて府
中に指を屈して十人両換と聞いたる富限の輩、遊説してけるが、奉行既
に彼れが如きの残忍無道なり、町人の貪慾、怪しむに足らず、嘗て一人
の応ずるものゝあらざれば、平八が二年以来の苦心さへ、今は水の泡と
ぞ消にける、平八争かで此屈辱に耐へ得んや、戦国の名残りを茲に甲山、
緒をば弛めぬ大丈夫も、涙濺ぎぎて絶嶺に、大標太虚や観ずらん、英雄
首を回らせば、これ神仙、平八、即ち叫んで曰く、市民の叫喚、吾れに
あらずして、誰れかこれを救はんものぞと、慷慨淋漓として、熱血飛ば
んと欲す、英雄の心の裡ぞいかならん、
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眦
(まなじり)
淋漓
(りんり)
水・汗・血
などが、し
たたり流れ
るさま
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