Я[大塩の乱 資料館]Я
2003.3.3訂正/2003.2.18

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大塩の乱関係論文集目次


「大 塩 平 八 郎

−太平天国の建設者大塩格之助−」

その10

石崎東国

『中央史壇 第2巻第5号』国史講習会 1921.5 所収


適宜改行、読点を加えています。

△太平軍の用兵戦術の巧妙な事は、とても従来支那に起つた幾多の英雄も殆んど及ぶ者は無い。或は之を当時北京朝に人物なく、内憂外患と国政疲弊した時代である、といふかも知れぬが、それは歴史を見ないものヽ空談で、曾国藩を初め左宗棠、劉銘伝、其他少壮人物も可なりあつたのである、而も用兵戦術に至ては、全く洪秀全の敵で無かつたといふのが事実である、葵開二年即ち成豊二年には、湖南に入て金州を陥れ、流れに順て長沙に出て、簔衣渡の合戦に南王憑雲山は戦死したが、蕭朝貴は両広総督徐広縉を長沙に囲て置て、揚秀清の軍は、直ちに益州に出で茲を陥れ、臨資口から洞庭湖を渡つて岳州を陥れる、洪秀全は東に下て漢陽及び武昌を陥る、巡撫常大をは茲に死ぬ、両広総督徐広縉は長沙から逃げて革職される、此の時曾国藩が湘軍といふものを組織して討伐に当つたが、中々及びも附かない、葵開三年に、氏の軍は九江を下つて安徽に入り、安慶を陥れ進んで金陵を取つた、即ち南京で、之を改めて太平天国の国都たることを宜言するに至つたのである。

△此後の戦争は明かに歴史にも書いてあることで、それを見れば分るが、如何に太平軍の用兵戦術に巧妙であつたかは、是れで分るのである、吾等の太平天国は、先づ此まヽで大体片付いた勘定である、即ち此の後は戦争時代で、天国の建設は是れまでゞ分る、余り分らないが、我が大塩即ち洪秀全であるとするの考証には、最早別段の材料が無い、少なくも今手許にはこれだけしかない、要するに天国建設までの歴史はなく、滅亡の歴史のみが遺て居るのだ、上半世が無く、下半世が遺て居るだけで、吾等には、何等の見るべき価値がない、併しこれだけでも、大塩先生の清国亡命の跡と、周雲山を中介とした東海偉人の上帝会が、之と結ばるべく、大塩先生の耶蘇教退治の研究が、茲に時代人情に案じた教義の建設で、とても支那に見るべからざる歴史であるのと、洪秀全が天から降つた様な浪人で、何国のものとも知れない怪物であつたことは、今日でも支那の一疑問であるが上に、其の用兵戦術の、此時代何人も研究し及ばざることが大塩の所有であつたのと、更に彼の年齢と大塩士行の同年齢であるのも一つの疑問で、更に挙兵の経路は言はず、詔書の日本文なるばかりではなく、葵開の年号が、万世一系の日本皇帝に対する一新国家の建設を意味したことが分るのと、此等の多くの類似点としふよりは寧ろ疑問を解決するのは、慥かに大塩ならずとするも、幾多の問題を生ずるであらう、吾等は大塩の「大」を取り、平八郎の「平」と合わせて茲に「太平天国」が出来たものであるといふやうな、牽強附会で斯の問題を提起したものではない、慥かに歴史上の一疑問として残るものなること信じてである。

△是れから余論として書て見たいのは、彼が何故に武漢の要害を取りながら、之を棄てゝ金陵に国都を定めたかである、古から漢陽の固め、一夫之を守れば万夫通ずる能はず、といはれた程の地である、洪秀全が既に漢陽を得たゞけで、十五年の王国を維持されたとも見ゆるのに、金陵に下つたのは、自ら天下を棄たやうにも思はれる、又一説には洪氏が、已に金陵を陥れ、兵を分けて江南を守り、自ら全軍を統一べて淮安より長駆して北上せんとした時に、一老舟子が諌めて云には、北路には水なく糧に乏し、今長江の険に拠り、舟師万千形便の勝を占めて都を建つるに若かずと(楊秀清等も之に賛成した)とあるが、一老舟子の言で斯くも俄に北上を思ひ止つたのが事実であるとすれば、甚だ理由が薄弱ではないかと思はれる、此の乱世の場合であつたから、或は軍中後を窺ふものがあることを恐れて、止むだのではないか、現に葵開六年(安政三年)には、東王楊清が、王位を覆いして自立するの意があつて、遂に韋昌輝をして殺させた、又韋章輝も後に之を殺して了つた、是等は要するに創業の際にはあることだが、而も実は彼等が遂に洪氏の日本人たることを知つての反逆であつた。

△而も之等の叛将を除いた事が、何等太平天国を弱める原因をなしたものではない、太平天国には依然金陵に虎踞して、西に荊楚を控へ、北は青斉を連ね、地方数千里帯甲百万、強酋悍将某布星羅して曾国藩、左宗棠、劉銘伝の軍を各所に破りつヽ、官軍は極めて振はなかつたのである、僅かに此時鎮江と上海とが、独り我が有で無つただけである、上海は外国士官に依て守らて居たのを、氏の兵が勝に乗じて青蒲、松江より之を窺ひ、遂に外国と怨を構ふるに至つたのが、抑も失敗の基に成つて、是より英米仏聯合軍を敵として、背面北京軍を引受けて戦つた結果、遂に北上の機を失したものが、太平軍を滅亡に至らしめたものであつた。


「大塩平八郎」目次/その9

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