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平八此日の出立ちは、鍬形打つたる兜の緒をしめ、黒地に桐の定紋置き
たる戦袍はふり、采配採つて中軍に控へたり、先陣には養子格之助、殿
は瀬田済之助、其外摂津河泉の健児、左右翼に居れたる其勢総て三百余
人、救民の大旗を、明渡る朝風に翻し、大筒の音を相図に火を揚げて、
勝ち誇りたる鬨の声、山海も、今や裂けなむ金城も、今日や一時に砕け
なむ、折しも吹き来る東北の風は、生駒か葛城か渦まく焔のその中に、
救民の旗愈々空に巻き上る光景、凄まじなんといふばかりなし、二百余
年の太平に眠りししるし、目のあたり、不意を喰つて幕兵は、言ひ甲斐
なくも立すくむ、されば押寄/\、出る兵の数も雲霞の、大軍を物とも
せずに切まくり、大塩勢は茲をせんどと、阿修羅王の荒れたる如く、焼
き撃/\進む程に、瞬く間に大厦巨星を打ち毀ち、金穀を散して窮民の、
取るに任せしその時の、快哉天地に轟きたり、後を見れば衆寡漸く敵し
難く、続く勢の次第に少なくなりければ、平八、今は是迄と、健児の一
隊に慰め諭して潰散し、我身も共に乱軍に混れて、何地ともなく落ち延
たり、救民の旗影、今は見えずなりたるが、天の怒りは尚ほ憩まず、残
る は吹き荒む風に愈猛りたち、市街半ば灰燼に帰し、蕩然として、満
目凄然たるばかりかり、大塩一たびは戦場を落ち延びしが、今は再挙も
叶はじと父子諸共刃に伏してぞ斃れける、時に平八四十四、其子格之助
は二十五のまだ少年にありながら、国人を思ふ心の一筋に、笑て藁街の
露と消えたる悲壮さ。
嗚呼、撼天働地の英雄も、斯くて去にけり、大塩の、事は成らずて消せ
にける、然かはあれども此君の、赤き心を金城の華と称へて、淀川の流
れと共に言ひ伝へ、語りつぎつゝ今も尚ほ、いけるが如く、人道の戦士
とこそは称へつゝ、市民は神とも仰ぐなり、市民は神とも仰ぐなり。
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大厦
(たいか)
大きな建物
撼天動地
(かんてん
どうち)
天地をゆり
動かすこと
「働」は誤
植か
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