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偖ても其後平八は、心にかくと決せしかば、伊勢の大廟、富士浅間、日
頃信ずる中山の、観音大菩薩も私ならぬ赤心を、共に照覧ましませと、
平八一代の心肝を、瀝きたる洗心洞剳記をば、何れも袖庫、石堂に納め
ける、明くれば天保八年、続ける飢饉も今は其極に達し、米穀愈々乏し
くなりまさるが、上に悪疫さへも加はりて、窮民皆な死に瀕し、天に愬
ふ飢の声、地に哭する死の叫び、此世からなる阿鼻叫喚、地獄の果ても
争で、これには比ぶべき、平八、今は堪へ得ず、数多所蔵の珍書をも、
一巻残らず売り、代し得たるは茲に一万金、これさへ一万余人が一日の
餓を救ふに足るものを、あはれ残忍酷虐の幕吏かな、富限の罪も逃るま
じ、平八のみか今ははや、城中幾万の血潮は、一時に湧き返り、事あれ
かしと待つからに、殺気は天に冲したり、当朝には平将門、明智光秀、
漢土の劉裕、朱全忠が建てし謀反の旗なれど、天下を挙て鉄火の巷とせ
んことの、流石心に忍び得ず、事挙げかねし平八も、今はこれまでの世
なりけり、イデ救民済生の旗揚げせんと、洗心洞三千の健児を集め、獅
子吼一番、人事天命を説き、肺肝を傾くれば、何れ劣らぬ血気の少年、
義を見て勇む増荒夫の、心は同じ諸共に、醜の醜草刈り払はで、何れの
日にかは天日を拝すべきと、勇む健児等を、平八、静に推し鎮め、四月
十日を以て其期とこそは定ける、扨も摂河泉播の国々には、奉 天命 行
天罰 候旨、檄を移されける程に、志ある人々は、浪華の狼煙、今や遅し
と待たりけり、さてもさる程に、運拙くして二月一八日、陰謀一旦に露
顕に及びければ、スワコソ猶予あるべからずと、昼夜俄かに軍備を整へ
て、出陣とこそはなりにけり、時しも二月十九日、夜はまだ明けず、残
月は天王寺畔にうらかすみ、天満橋場の川霧も、何時かは消ゆる人の身
の、終り定めぬ浮つ世の、仁を求めて仁を得る、西山の隠遁、博浪の鉄
槌、何れ愚かはあらぬなり。
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愬(うった)ふ
劉裕
南朝の宋の
初代皇帝、
高祖
朱全忠
五代後梁の
初代皇帝、
後梁の太祖
増荒夫
(ますらお)
醜草
(しこぐさ)
悪い草、雑草
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