Я[大塩の乱 資料館]Я
2003.1.12

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大塩の乱関係史料集目次


『事 々 録』 (抄)

その1

三田村鳶魚校訂

 『未刊随筆百種 第6』米山堂 1927 収録


◇禁転載◇

解 題

事 々 録

 天保二年より嘉永二年に至る十九年間の風聞雑説を集録せしものなり、集録者の氏名は知らねど*1大御番を勤むる人の筆に成れる証あり、所謂貧乏旗本にもせよ或る階級の武士の見聞範囲が如何に限局せられたるかは、此の集録によりて善く窺ひ知らるべし、凡そ此の種のものを慢然社会記事の集録として看過せんは頗る心なきことゝ思はる、其の社会記事なることは云ふを須ゐず、然れども此の種のものにて一般普遍に記載されたるは殆ど無く、大抵極めて偏局せるものゝみなり、是は階級制度の為め、各自の生活が割拠のさまに成り行きて、殊更に外間を隔絶し、箇中との消息を遮断せし故なり、若し此の限局されたる見聞の範囲に依りて、或る武士階級の生活状況を考ふるものあらぱ、稍々、面白き収穫なきにもあらざるべき歟、

 大御番などの内に何故に斯る集録者を生じたるか、是只だ閑暇のまヽにせる物敷寄にもあらず、又た本より後来の江戸時代を考へん者のためにとての親切なるにもあらず、大御番は二條大坂両城の在番を本職とし、隔年の勤役なり、非番にて江戸に在るは云ふまでもなく、京坂に服務せるも繁多ならす、旁々宿状又は宅状と唱へて迭に消息を通ぜる習ひにて、それも自身の安否を知らせ、家内の無事を告ぐるものに止めず、何時よりか其の様変り、過眼録に云へる『飛檄帖といふものにこれは安永七年より八年迄、大坂在番したる人の子息並に友人留守中、怠らず毎月順会有りて、其度々珍説雑話さま\゛/書状にて申遣し、返事住復共に其事を録したるものとみゆ』の如きことゝなり、やがて本書の如き体裁のものを伝ふるに至れるなり、故に後世よりは勿論、当時にありても、何ともなき奇ならず妙ならず、事を記するも尠からず、同勤の動静その他につけて殆ど意味なきことのやうなれど、是ぞ楽屋落ちの類にて、其の人々に取りては案外の興味を惹くものなりしを疑はず、本書の如きものを読む者は先づ其の編述の本意を知りて、且つ其の応用利用を拡むべきに似たり、


管理人註
*1 記録者は堀田重兵衛(堀田甚兵衛)か。本文中に「御塩噌司り」とある。


『事々録』目次/その2

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