三田村鳶魚校訂 『未刊随筆百種 第6』米山堂 1927 収録
◇禁転載◇
昼夜廻の濫捕、 |
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○両御番、大御番昼夜廻は、其組老人共貧人抔、楽勤の中にして、少しも雨隆れば不出、又は供人も少く、深夜抔は番所に札をはるのみにて、甚しきは家来のみ出して事済たるを、天保五午年御書付出て組々改りしが、是も三四ケ月にて又々もとに風俗のもどるに至る、今年三月左之通之書取頭々より渡ス、
昼夜廻御番衆心得方之儀は、去天保五午年御沙汰有之候ニ付、翌未年夫々爾申談置候之処、廻方之処は等閑は有之間敷候得共、更ニ召捕者も無之如何之事ニ候、
此度猶又御沙汰有之候間、以来は博奕又は小盗致候者、其外径敷見請候者早速召捕可申候、
畢竟是迄は先々之申合等ニ泥、兎角穏成方宜敷と而已相心得候故、召捕者モ無之儀と相聞ヘ、此後は左様之儀不拘、前々被仰出候通、少々捕違は聊不苦敷候間、少も怪敷者は無用捨召捕可被申候、
右様出精被致候得共、銘々規模ニも相立、一ツかどの勤功にも相成候間、能々精入見廻可被申候、
乍併みだりにがさつケ間敷事有之候ては、以之外ニ候之間、其処は兼て厚心得□り可被申候、且是迄は雨雪等之節は不被廻候得共、以来は雨雪等之節も矢張相廻候様ニ、御老中方被仰聞候間、左様相心得出精可被致候、
是よりして組々御番衆銘々はげみ合イ、目明シを使イ物入にかまはず、召連人も盗賊方に年来入込し家来なんどの流浪を召抱なんどして、油断なく巡行し、少しもあやしきを召捕、奉行所へ引渡す、四月上句ニ至り数百人を牢内におくる物から、奉行所是が為に混乱し、もとより町同心か数年功をへたる捕方にあたはざれば、只是半分は罪なき人の衣類格好見ぐるしき輩の身よりもなく言訳くらき者の捕へらるヽ事となり、是を評する者、賤民の難義、町役人の迷惑、町奉行の混乱、何の益ありやと笑ひ誹る、
又是を深く考るに此節西丸御焼失、何となく人心おだややかならず、物をあやぶむに至る、
かくて其町内々\/浮浪の者、此節の様子を見て、速に牢内に入を恐れ横行を慣み、又は他国へはしり、おのづから江戸おだやかになり、此上の火災沙汰も止べきの故御政務也と言、
すべて目明シは盗賊方町同心に遣はれて世を送る、今度御番方\/其目明シを遣ふには、盗賊方町同心が賃銀を出す其員数をまして遣ふゆへに、御番衆\/の手について、目明シの大に徳づき、持前の業の流行するのみか、盗賊方町同心には捕者にも名ある者、又はきつと盗賊火附大罪ならざれば、彼等が手柄とせず、御番衆へさし口を示すは、聊の博奕の者罪さだかならざる者にても、召捕せさへする時は賃銀を貰ふ故に、つかわれ安く身をこやすに骨をおらず、此時節こそ目明等の時を得たる也、
みつればかくるならひにて、是迄盗賊方町同心等は目明等のばくち打チ悪事等は、手先キ者としてゆるしをきしが、御番衆は其事にはかヽつらはねば、目明も又多く召捕られて不仕合なるは今迄見のがされたるが、牢内に入るも有りしと聞ゆ、是も又奇事ならずや、
(朱書)よつて両御番大御番が精勤之者は老人と代り勤る、町奉行所には召補人入牢多く、混乱いふばかりなく、又々御沙汰、頭\/より夫となく差図して廻り方もとヘかへり、雨には廻らさると追々成たり、