大塩平八郎だの、平賀源内だのつて人物は、いつまで経つても毀誉褒貶
の定まらない、寧ろ評判の動いている人物だ。それだけに随分変り者の
変つた観察を受け易い。中には甚しく彼等を崇拝する者もある。それは
其人の性質境遇、又は年齢の或る時期、知識学問から来る所のの或る心
ど
理的変化に因るものもあらう。併し孰れも絶対の是非は許されない。同
時に大塩や平賀を極端に批難するにも当たらない。彼等が彼等の態度と
運動とを取るまでに到つた経路には、それ相応の理由が其処に在る。内
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から発つた理由もあらうし、外から迫られた理由もあらう。彼等を見る
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者の皆同じでないと同様に、彼等自身の考へる所も 各 違つたものがあ
らう。それやこれやを綜合してでなければ、ほんとうの是れ沙汰は出来
ぬ。香川蓬洲君の「大塩平八郎」は彼を研究するに、必ず著者の予期せ
ぬ程の勿怪の資料を供するものがあらう。之が此書を読む者の心得でも
あり、態度でもあるべきだと思ふ。
帝国新聞社の三階で
中尾鴃村
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