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『大塩の乱関係資料を読む会会報 第6号』


1997.9.22

発行人 向江強/編集 和田義久

◇禁転載◇

目  次

30回例会報告
はじめに
(18) 大皐氏ノ書
(19)庄内藩屋敷ヨリノ書

第31回例会
(19)庄内藩屋敷ヨリノ書(承前)
(20) 洗心洞小引
(21)丹波屋義兵衛ノ書

○史跡マップ「大塩の乱のあとをたどる−大阪市内編」  完成間近い
○大塩の乱160年記念行事
○(終焉の地碑文)
○資料・「大塩平八郎」辞典より・「大塩から志士たちへ」

第30回例会報告

はじめに

第30回例会は7月23日に開催、19人が参加し、36丁から41丁まで進んだ。

(18)大皐氏ノ書

尋常でない火事騒動、大塩の謀反、その原因としての施行の献策、上を怖れぬ行動ゆえの咎めに対する恨み、また謀反の計画などかなり正確な情報を書き綴っている。また、当日の大塩党の動きや城代や東西奉行の対応についてもおおまか把握しており、3月段階では大塩平八郎の真意は別として、一応事件の概要は知れわたっていたと思われる。

(19)庄内藩屋敷ヨリノ書

まず大塩の反乱の様子から書き始めているが、時間の関係で41丁で中断した。

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第31回例会報告

31回例会は8月25日に開催、初めての方1人を含め19人が参加した。前回は41丁の後半途中まで進んだので、残りの分から読み進めた。なお、向江先生が中座され、また史跡マップ「大塩の乱のあとをたどる−大阪市内編−」編集のため、いつもより早く読む会は切り上げた。

(19)庄内藩屋敷ヨリノ書(承前)

後半は、密告から、東奉行所の小泉淵次郎・瀬田済之助に対する糾明、瀬田の逃亡、大塩への注進というストーリーが綴られている。また、宮脇志摩の自殺、白井孝右衛門と杉山三平の逮捕、済之助の縊死、渡辺良左衛門の切腹なども細部に事実誤認はあるが、大塩一党の最後を伝えている。

なお、興味あるのは、蔵屋敷への要請に対し、蔵屋敷ゆえ武器の用意がないので断わったという話だが、庄内藩の蔵屋敷にはそのような要請はなく、人相書だけが届いたと記している。

なお、宮脇志摩についての記述中、「切腹にあらす猫腹致し」という表現が興味を引いた。

(20)洗心洞小引

目次には[洗心洞山引」とあり、「山引」とは意味不明で疑問も出た。脇注に「小引」とあり、「小引」の誤りかもしれない。「烏有翁」とは明らかにペンネームと思われ、大塩平八郎に関する小伝という意味合いなのだろう。

「潔自を好み、気質衆人に異なり、言語温順、胸中儷落に心胆文武を兼備せり、常に兵書を座右にして、且民衛流の炮術を極め、又王陽明を幕い、議論文章著述数巻世に行われる」と、簡潔明僚に平八郎の人物評をしている。なお、「民衛流の炮術を極め」たとあるが、これについては未確認のままである。

(21)丹波屋義兵衛ノ書

2月18日夜、伏見から大坂に出て乱に遭遇した人物の書き物なので、興味深いところだが、時間切れで、46丁までしか進めなかった。そこまで、特に間題点はでなく、楽しみは次回へということになった。

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史跡マップ「大塩の乱のあとをたどる−大阪市内編」 完成間近い

大塩の乱160年記念行事の一環として、大塩の乱関係資料を読む会が編集を担当した史跡マップがいよいよ完成に近づき、来たる9月27日の「大塩平八郎終焉の地」追悼碑除幕式典で配布される運びとなりました。原稿を書いていただいた会員のみなさんは早く手にしたいところでしょうが、乞うご期待。

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○大塩の乱160年記念行事○


「大塩平八郎終焉の地」追悼碑除幕式典と記念講演会のお知らせ

と  き    9月27日(土)午後1時30分(受付午後1時)〜4時
ところ    大阪市西区靱本町1丁目18−12天理教飾大(しきだい)分教会
           地下鉄本町25・28番出口西150m Tel 06−441一0197
除幕式典  無宗教にて挙行、参列ご自由
解  説    大塩終焉の状況と建碑運動本会副会長 井形正寿
記念講演  「大塩平八部とその時代」本会会長 酒井 一(天理大学教授〉

(終焉の地碑文)

                  大塩平八郎終焉の地 
大塩平八郎中斎(一七九三〜一八三七〉は、江戸時代後期大坂町奉行所の与力で、陽明学者としても知ら れ、世を治める者の政治姿勢を問い、艮衆の師父と慕われた。天保八年(一八三七)二月十九日飢饉にあえ ぐ無告の民を救い、政治腐敗の根源を断とうとして、 門人の武士・農民等を率いて決起した。

乱後大塩平八郎・格之助父子は、この地に隣接した靱油掛町の美吉屋五郎兵衛宅に潜伏したが、同年三月 二十七日幕吏の包囲のうちに自焼して果てた。民衆に 呼びかけた檄文は、密かに書き写され、全国にその挙を伝えた。大塩の行動ば新しい時代の訪れを告げるものであり、その名は今もなお大阪市中に語り継がれている。

決起百六十年に当たり、全国の篤志を仰いでここに建碑する。

    一九九七年九月

      大塩事件研究会


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編集後記

先月は、8月ということで休ませていただきました。30回と31回の2回分の報告になりましたが、30回例会から2か月もたっており、記憶が定かではないので、例会での議論を十分反映できていません。ノートをとるようにしているのですが、あまり得意ではないので、いつもメモ程度しか書き込んでいません。ノート取りの上手な方の協カをお願いします。(久)


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