ほうけい おたか助右衛門にかの大篠の謀計をひそかにかたり薩摩よりの御 のこ みつたん 内意とはいつわりの事を残らず蜜談におよひしかば平井大ひにお さつま きたく のち とう どろきしがはたして大篠薩摩より帰宅の後に加徒をかたらふ平井 してい おんき もともにかたわられしが師弟の恩義もだしがたく」(九ウ) あか かとう 夫と明さす加徒せしなり ぶん さるほどに大篠は事を十分にはかりおゝせ多くの加徒をかたらひしが とうい してい き さてかたらはれし同意のめん/\師弟の義により儀によりておの/\ せいし おり やかた こと 生死をともにせんと折/\大篠の館にあつまりひとへに事をはかりけ かね はか るさて又兼て桂八郎の計らひにより主は元より加徒の人々」(十オ) よろいかぶとやりなきなた てつぽう ちんかさ よう ぬけ 鎧 兜 鑓長刀におよび鉄砲玉薬または竹鑓陣笠までまさかの用意は抜 め けうじへん 目なくかたのごとくにとゝのへ置とかくに時を見合せて世の凶事変を くはういんはや すきわた てんさい うかゞひけるに光陰早くも過渡り天保八年とはやなりにける時に天災 けう きんらい じゆんき かんちう ようき なるかな凶なるかな近来大ひに順気あし敷さむき寒中に陽気みちて あせ なが 身に汗を流す」(十ウ) あつ とよう いんき ぬのこ じゆん あくねん ありさま暑き土用に陰気とじて身に布子をまとふ不順三水五水の悪年 ふうう たね よ にて是となく風雨しげく三水山に舟をつなぐ五水種をうしなふ世のこ なが すいそんいくまん くはうたい とはざ山流れて里をうづみ諸国の水損幾万ともなく広大にして其凡を こくきは さく しき あたいこうれう はかりがたし是によつて五穀極めて不作ます/\諸色其価高料に及び せけん 世間の」(十一オ) こんきう ききん あく すいび 困窮爰にせまり今は飢饉の悪年となり世上の衰微いわん方なしされは せけん じんき しちう とうそくおし 世間もものさはがしく人気もあらくなり大坂市中または在/\盗賊押 入はいくわいしてあるひは大家をこぼちたりかしこの米屋をあばれた ふうぶん くろう りと日々の風聞かしましくさても御上様の御苦労たとへがたなし是に こゝろ ふ か よつて心ある冨家」(十一ウ) こうぎ めうか はい のめん/\御公儀様に冥加の拝しかつはおのれをかえり見てわれも/\ くわうだい なんじう せきやう と願ひ上広大の金を出して難渋者へ施行せりさるほどに大篠桂八郎加 もろ へん ぜう こと はか さいわ きた 徒の人/\諸ともに此度の変に乗して事を計るに幸ひなり時こそ来れ くふう と大ひによろこひしばらく工夫をたくみけり」(十二オ) ことし とう 作者いわく今年天保八年正月十日比に大篠桂八郎大勢の加徒をあ ほうけいくふう いしゆ つめんため謀計工夫して御上様へ一条の願ひを上る其願ひの趣旨 きんねん つゝき こんきう しも ひんきう きは なんじう は近年打続ての困窮に付下/\貧窮のものども極めて難渋仕り候 じ ひ はしよ さた 間何卒御上様の御慈悲を以て場所を見定」(十二ウ) すく なんじう あつ めて御救ひ小屋を立て大坂市中在々村々難渋のものを集め百日の すく 間救命仰せ付られ後救ひ度旨ねがひ上たりといへども御奉行様思 きゝとゝけ ふ か 召有て是を御聞届給ばす是によつて又もや大坂の名ある冨家の こうのいけ たつみ すみとも じふん 鴻池屋辰巳屋平野屋住友炭や自分」(十三オ) なんじう すく え すぐに参り難渋のものへ百日のあいだ救ひ得させ度候間何卒御加 りかい とい むしん 勢下され度と利害を解てくれ/\たのみ一万両づゝの無心申入け ことは ればみな/\断りいふて事ならず是によつて大篠大ひにいきどふ ふ し ほうぐ やつばら り武士のたのみを反古にせしとにくき奴原」(十三ウ) ほうけい しやうじゆ なんじう とふかくうらみしとかや此謀計は成就せばすくひ小屋へ難渋もの あつ わかしんしん はか とう くふう こと を多く集めて我仁心を見せて事を計り加徒させん工夫なりしが事 そうい とう 相違せしは是天道のおさへ給ふ所なり是をくわしくとくにはゞか り有てこれをりやくす」(十四オ) 難波湊秋花噂巻の四畢」(十四ウ)
Copyright by Shinichi Kikuchi 菊池真一 reserved