自 序
大山を繞らずに雲霧あり、偉人を蔽ふに誤伝あり、雲霧を披いて始て真の山容を知り、誤伝謬説を排して始て偉人の面目を窺ふに足る、大阪の人大塩中斎は一代の偉人なり、前人其伝を草するもの数部を下らずと雖も、私に按ずるに、史料の捜索を忽にし、事実の真偽を詳にせず、是を以て過褒過貶当らざるに似たり、著者久しく大阪に在り、旧記を捜り敬老を訪ひ、茲に本書を公にするは、史料の蒐集に於て敢て前人に一歩を贏得たりと信ずる所あればなり、然れども史料の蒐集は時日と注意との成果にして、研学の初歩のみ、之より更に鑑別・取捨・湊合の三関門を通過するにあらずんば、其堂に上る能はざるや明なり、著者豈に第一門に入るを得たるに甘じて堂に上らんとするの努力を弛うするものならんや。
明治四十二年十一月 著 者 識
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