Я[大塩の乱 資料館]Я
2005.1.4

玄関へ

「大塩の乱関係論文集」目次


『大 塩 平 八 郎 』 その74

幸田成友著(1873〜1954)

東亜堂書房 1910

◇禁転載◇


 第二章 学者
  四 授業 (5)
 改 訂 版


教授法














児童日課大
略

講義は毎暁七ツ時頃に起上ると直に一回あり、五ツ時頃に出勤 して八ツ時頃に帰宅するとまた一回あり、それから夜分へかけ て二三度も講義のあることもあるが、其講義振は活きて働すと いふのが本意で、尋常の儒家者流とは大に違ふ。時には経書の 本文と時世とを比較し、老中誰殿が箇様の御処置は論語のこの 趣意と矛盾するとか、城代誰殿のかくあるは孟子の此孟子の語 に相違するとかいふ風に、批評をさへ加へたとある、尤も之は 中年以上の門弟に対する教授法であらうが、少年の日課として は毎朝卯ノ上刻に起き、寝道具を収め、嗽き梳り、新に理むる 所の書を読み、読み終つて後退いて復習すること十回、疑しき もの忘れたるものは必ず之を正し、次に前に埋めたる書を読む こと十回、疑忘の点は復必ず之を正し、次に書を習ひ、字を写 し、詩を誦し、韻字平仄を正し、酉ノ中刻に臥床すべしとの定 であつた、束修月謝等のことは少しも解らぬ。

       示弟子 自学而達尭曰終、千葩万学未嘗同、 刮眼不見根所在、聞香玩色遂無功、

 講義は毎暁七ツ時頃に起上ると直に一回あり、五ツ時頃に出 勤して八ツ時頃に帰宅するとまた一回あり、それから夜分へか けて二三度も講義のあることもある。講義振は活きて働かすと いふのが本意で、尋常の儒家者流とは大いに違ふ。時には経書 の本文と時勢とを比較し、老中誰殿が箇様の御処置は論語のこ の趣意と矛盾するとか、城代誰殿のかくあるは孟子のこの語に 相違するとかいふ風に、批評をさへ加へたとある。  中斎は辞職後孜々として経籍を研究し、生徒に授業する所以 を説明し、「これ好事にあらず、これ糊口にあらず、詩文の為 ならず、博識の為ならず、又大いに声誉を求めんと欲するにあ らず、再び世に用ひられんと欲するにあらず。たゞ学んで厭は ず、人を誨へて倦まざるの陳迹を扮得せんとするのみ」と言つ て居る。然し中斎は所謂儒に隠れ得なかつた。従来の講釈や詩 文の添削に満足しきれなかつた。彼が時勢に対し常に深い関心 を有したとすれば、その結果が政治の批判となるは必然である。 坂本鉉之助が中斎を「如何様妄に政道を是非する癖は有之」と 評したは、語勢が嶮し過ぎるやうだが、一面においては確に事 実を得て居るものと思ふ。  少年の日課としては毎朝卯ノ上刻に起き、寝道具を収め、喇 ぎ梳り、新に理むる所の書を読み、読終つて後退いて復習する こと十回、疑しきもの忘れたるものは必ず之を正し、次に前に 理めた書を読むこと十回、疑忘の点は復必ず之を正し、次ぎに 書を習ひ、字を写し、詩を誦し、韻字平仄を正し、酉ノ中刻に 臥床すべしとの定であつた。束修月謝等のことは少しも解らぬ。


「大塩平八郎」目次2/ その73/その75

「大塩の乱関係論文集」目次

玄関へ