教授法
児童日課大
略
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講義は毎暁七ツ時頃に起上ると直に一回あり、五ツ時頃に出勤
して八ツ時頃に帰宅するとまた一回あり、それから夜分へかけ
て二三度も講義のあることもあるが、其講義振は活きて働すと
いふのが本意で、尋常の儒家者流とは大に違ふ。時には経書の
本文と時世とを比較し、老中誰殿が箇様の御処置は論語のこの
趣意と矛盾するとか、城代誰殿のかくあるは孟子の此孟子の語
に相違するとかいふ風に、批評をさへ加へたとある、尤も之は
中年以上の門弟に対する教授法であらうが、少年の日課として
は毎朝卯ノ上刻に起き、寝道具を収め、嗽き梳り、新に理むる
所の書を読み、読み終つて後退いて復習すること十回、疑しき
もの忘れたるものは必ず之を正し、次に前に埋めたる書を読む
こと十回、疑忘の点は復必ず之を正し、次に書を習ひ、字を写
し、詩を誦し、韻字平仄を正し、酉ノ中刻に臥床すべしとの定
であつた、束修月謝等のことは少しも解らぬ。
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講義は毎暁七ツ時頃に起上ると直に一回あり、五ツ時頃に出
勤して八ツ時頃に帰宅するとまた一回あり、それから夜分へか
けて二三度も講義のあることもある。講義振は活きて働かすと
いふのが本意で、尋常の儒家者流とは大いに違ふ。時には経書
の本文と時勢とを比較し、老中誰殿が箇様の御処置は論語のこ
の趣意と矛盾するとか、城代誰殿のかくあるは孟子のこの語に
相違するとかいふ風に、批評をさへ加へたとある。
中斎は辞職後孜々として経籍を研究し、生徒に授業する所以
を説明し、「これ好事にあらず、これ糊口にあらず、詩文の為
ならず、博識の為ならず、又大いに声誉を求めんと欲するにあ
らず、再び世に用ひられんと欲するにあらず。たゞ学んで厭は
ず、人を誨へて倦まざるの陳迹を扮得せんとするのみ」と言つ
て居る。然し中斎は所謂儒に隠れ得なかつた。従来の講釈や詩
文の添削に満足しきれなかつた。彼が時勢に対し常に深い関心
を有したとすれば、その結果が政治の批判となるは必然である。
坂本鉉之助が中斎を「如何様妄に政道を是非する癖は有之」と
評したは、語勢が嶮し過ぎるやうだが、一面においては確に事
実を得て居るものと思ふ。
少年の日課としては毎朝卯ノ上刻に起き、寝道具を収め、喇
ぎ梳り、新に理むる所の書を読み、読終つて後退いて復習する
こと十回、疑しきもの忘れたるものは必ず之を正し、次に前に
理めた書を読むこと十回、疑忘の点は復必ず之を正し、次ぎに
書を習ひ、字を写し、詩を誦し、韻字平仄を正し、酉ノ中刻に
臥床すべしとの定であつた。束修月謝等のことは少しも解らぬ。
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