Я[大塩の乱 資料館]Я
2009.12.20

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「大塩の乱関係論文集」目次


『江戸と大阪』
その127

幸田成友著(1873〜1954)

冨山房 1942 増補版

◇禁転載◇


 第七 米 (5)管理人註

米価引上に 対する堂島 市場の答申 両替屋仲間 の答申 文字金銀

 享保十五六年の頃、大阪町奉行から堂島市場并びに両替屋仲間 に対して米価引上策を諮問したことがあつた。その時堂島では仲 買の人数を一定して蔵米の入札を行はしむべしと答へたが、それ が米仲買株の許可に与つて力があつた。それから両替屋の意見に は近年諸国豊熟にて米穀充満し、直段下落し、諸人これがために 大いに迷惑する。全く諸国より出づる米の多きによるとはいへ、 一つには現在通用の金銀の位が宜しくて、米の位と相当せぬから である。元禄宝永の金銀の位ならば、自ら米の位と相当せんか。 今の銀にて米一石三十目、宝永の銀ならば凡そ十割増の算用にて 六十目に当る。いづれ金銀と米との位の相当せざる理もあらんか といつて居ます。  茲に現在通用の金銀といふのは、新井白石の意見によつて、七 代将軍の晩年に改鋳に着手したもので、慶長の金銀と同位のもの である。白石の意見は金銀の質を古にかへさなくてはならぬ、元 禄以来悪貨幣の鋳造が物価の騰貴を促したと認めて居る。併し荻 生徂徠の説は反対で、金銀の位は必ずしも純粋なるを要せぬ。そ の位は劣つても、一方に銭を余計鋳れば、母は子のために引立て られて通用するといふのである。幕府は御定相場を廃止する前月 に金銀改鋳令を出して居る。御定相場を廃止する時の触書に「此 度金銀吹替も有之に付、先達而相触候米定直段相止候」とある。 御定相場の廃止と金銀吹替とは二つを結付けて考へねばならぬ。  今度出来た金銀を文字金銀といふ。慶長の金銀に比べて見ると 品位も劣るし目方も軽い。慶長金を一とすれば文字金は〇・五五 余、慶長銀を一とすれば文字銀は〇・五七余に当る。ざつと二分 の一で、果して米価は高くなつた。大阪の両替屋の意見を幕府が 採用したとはいはないが、幕府の意見は少くとも両替屋の意見と 同一であつたと推測せられる。

 


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