Я[大塩の乱 資料館]Я
2018.5.26

玄関へ

「大塩の乱関係論文集」目次


「矢部駿州と鳥居甲斐」
 その1
栗本鋤雲 (1822−1897)

『匏庵遺稿』所収 裳華書房 1900

◇禁転載◇

 管理人註
  

昔老徳川氏の治世に当り、撰まれて三奉行(寺社、勘定、町奉行)に列する者は、 学者にあらすと雖も、大抵皆才幹ありて事務に老練し、儕輩に卓出する人物にて ありき、斯く其撰を謹む者は、繁に処し劇に勝ふる其大を得されば、往々務を欠 き職を曠ふするを以てなり、三奉行中に就て、取り分け町奉行の任を重しとする は、市政を専らにすると雖も、断獄警察を兼ね、且つ機務参賛の事に預れば、今 日の制を以て之を譬ふれは、東京府知事にして裁判長と警視総監と合併したるが 如くなる上に、老中若年寄にて決し難き機務には、必らず参与して意見を述ぶる 役なれば、格別に之を重んぜしなり、因りて其職に服する二十年の久しきに至れ ば、定規必らす世禄千石を加増するの栄あり、聞く所を以てすれば、享保度に大 岡越前守ほ別段功を以て一高石に封せられ、若年寄に任せられ、又見る所を以て すれば、筒井肥前守は現に服職二十年に満つるを以て、一千石の加増を得たる、 此他根岸肥前守と云ひ、大草能登守とと云ひ、造山左衛門尉と云ひ、往々名誉の 人物を出せり、去る程なれば此職に当る人は、始組三州に在る日、大賀源五郎を 除くの外罪を得て刑辟に処せられたる者は聴き及ばざる所なりき、 然るに我か廿歳前後、天保弘化の際、纔かに三四年間に、矢部駿河守、鳥居甲斐 守と両人の町奉行、引続きて禁錮改易の刑に処せられしは、実に希代の珍事にし て、独り受刑者の不幸のみならず、当事者も亦た不幸と謂はさるを得ず、   蓋し徳川氏二百余年の政茲に至りて綱紀始めて弛み、人心始めて離るゝの兆   を為したり、予や当時愚にして黜陟幽明の故に暗ければ、深くも以て怪訝   せず、唯政府の罸する所は必らず罪あり、政府の賞する所は必らず功ありと   のみ思ひ居たるが、年を経る漸く久しく随ひて見聞する処あり、往々感触の   念を起さゝるを得ず、因て二氏及び二氏に関する人々の口供宣告を書記中に   得て列記し、旁ら参するに平生聞く所と見る所を以てし、一部の顛末録と為   し、後の今を観る者の為めにせんとす、若し其訛謬と脱漏とを指摘忠告せら   るゝ人あらば、予は喜んで速に修改し、以て其厚意を失はさらんを欲す、



儕輩
(せいはい、
さいはい)
同輩






























纔(わず)か










黜陟幽明
(ちゅっちょく
ゆうめい)
功績に合わせ
て人の評価し
て登用するこ
と







訛謬
(かびょう、
かびゅう)
あやまり


「矢部駿州と鳥居甲斐」目次/その2

「大塩の乱関係論文集」目次

玄関へ