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昔老徳川氏の治世に当り、撰まれて三奉行(寺社、勘定、町奉行)に列する者は、
学者にあらすと雖も、大抵皆才幹ありて事務に老練し、儕輩に卓出する人物にて
ありき、斯く其撰を謹む者は、繁に処し劇に勝ふる其大を得されば、往々務を欠
き職を曠ふするを以てなり、三奉行中に就て、取り分け町奉行の任を重しとする
は、市政を専らにすると雖も、断獄警察を兼ね、且つ機務参賛の事に預れば、今
日の制を以て之を譬ふれは、東京府知事にして裁判長と警視総監と合併したるが
如くなる上に、老中若年寄にて決し難き機務には、必らず参与して意見を述ぶる
役なれば、格別に之を重んぜしなり、因りて其職に服する二十年の久しきに至れ
ば、定規必らす世禄千石を加増するの栄あり、聞く所を以てすれば、享保度に大
岡越前守ほ別段功を以て一高石に封せられ、若年寄に任せられ、又見る所を以て
すれば、筒井肥前守は現に服職二十年に満つるを以て、一千石の加増を得たる、
此他根岸肥前守と云ひ、大草能登守とと云ひ、造山左衛門尉と云ひ、往々名誉の
人物を出せり、去る程なれば此職に当る人は、始組三州に在る日、大賀源五郎を
除くの外罪を得て刑辟に処せられたる者は聴き及ばざる所なりき、
然るに我か廿歳前後、天保弘化の際、纔かに三四年間に、矢部駿河守、鳥居甲斐
守と両人の町奉行、引続きて禁錮改易の刑に処せられしは、実に希代の珍事にし
て、独り受刑者の不幸のみならず、当事者も亦た不幸と謂はさるを得ず、
蓋し徳川氏二百余年の政茲に至りて綱紀始めて弛み、人心始めて離るゝの兆
を為したり、予や当時愚にして黜陟幽明の故に暗ければ、深くも以て怪訝
せず、唯政府の罸する所は必らず罪あり、政府の賞する所は必らず功ありと
のみ思ひ居たるが、年を経る漸く久しく随ひて見聞する処あり、往々感触の
念を起さゝるを得ず、因て二氏及び二氏に関する人々の口供宣告を書記中に
得て列記し、旁ら参するに平生聞く所と見る所を以てし、一部の顛末録と為
し、後の今を観る者の為めにせんとす、若し其訛謬と脱漏とを指摘忠告せら
るゝ人あらば、予は喜んで速に修改し、以て其厚意を失はさらんを欲す、
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儕輩
(せいはい、
さいはい)
同輩
纔(わず)か
黜陟幽明
(ちゅっちょく
ゆうめい)
功績に合わせ
て人の評価し
て登用するこ
と
訛謬
(かびょう、
かびゅう)
あやまり
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