Я[大塩の乱 資料館]Я
2001.5.22訂正
2001.4.30

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大塩の乱関係論文集目次


「創作「氷室の狼煙」を書き上げるまで」

前 田 愛 子

1986.3『大塩研究 第20・21号』より転載


◇禁転載◇

「このお墓がそうですね。」 酒井一教授の説明に耳を傾けながらその方を跳めると、深尾家一族の眠る墓地の一隅に才冶郎と、その父母の戒名が並んで刻まれた墓石があった。

〈おのぶさんはここに眠っていはるのやわ。〉

 大塩事件に連座して牢死したと伝承される女性の戒名をなぞりながら、いま聴いてきたばかりの彼女の生涯を反すうしていると、胸にぐっとこみあげてくるものがあった。

 いまから七年前の十一月五日午後、おのぶの墓前に額(ぬか)ずいた光景は、いまも忘れずに憶えている。その日、大塩事件研究会は、枚方市字尊延寺にある来雲寺で開かれた。例会後、すぐ近くにある深尾家の墓地に案内されたころには、穏やかな秋の陽も西に傾きかけていた。

 わたしは線香のけむりがゆらゆら漂っている墓地に佇みながら、おのぶやその息子たちが生きた時代を追体験し、いくらか気持の昂ぶりを覚えていたように思う。

 酒井先生の講演では大塩挙兵に呼応して、この尊延寺村から百名ほどの百姓が村を出て行き、あとで厳しい処罰を受けたこと。それに深尾家と大塩との関係。事件当日、深尾才治郎に率いられた百姓たちの動きや、母親おのぶの言動などを、歴史資料、墓石、戒名、伝承などを紹介しながら手ぎわよく話されたのだった。わたしは話のなかでとくにおのぶという中年の女性に興味を覚えた。

 息子才冶郎を信じて挙兵当日、村人たちに酒を振舞い、牡丹餅までこしらえて送り出した彼女は、残った村びとたちの前で〃才治郎が大名になるか お仕置になるかは今日の勝負次第だ!〃 といったとか。そんな話を思い出しながら、この会の歴史資料の掘り起しを、創作という手段で多くの人びとに紹介できないものだろうかと考えていた。そんな思い入れもあって尊延寺での例会は、印象探いものだった。

 それから二・三度、尊延寺の地を訪れたわたしは、来雲寺の鐘を仰いだり、墓地の辺りを歩いたりしながら、自分の内部に固まってくるものを待っていた。

 才治郎の母おのぶに強く惹かれた最大の理由は、思慮分別のある母親が、まかり間違えば命と引きかえになるかも知れない挙兵と承知していながら、息子を送り出したという点であった。

 そのころわたしはある文学講座で講師の仕事を引き受け、その場でたまたま公害問題をめぐって話が弾んだ時、ひとりの主婦から、「夫が公害を引き起こす職場に働らいていても、企業内告発なんてとてもできません。そんなことしたら、食べて行けなくなります。」

 と訴えられた。それが大方の女性の本音でもあった。わたし自身の内部にもそんな気持が無かったといえぱ嘘になる。そのような一幕もあって、自分自身の問題としてこだわり続けていた時期に、たまたま大塩事件研究会の例会でおのぶという女性の存在を知ったのだった。

 彼女が生きた時代は、現代と違って封建秩序のきびしい時代であったはずだ。従っておのぶが息子才治郎の行動に理解を示すまでには、様々な心の葛藤があったに違いない。そのおのぶの意識と行動を通じて、百姓の立場から大塩事件の側面を描けないものだろうか。そう思い発ってまず、大塩平八郎が生きた時代背景と、事件の全体像をつかむために、岡本良一著「大塩平八郎」を繰り返し読んでメモをとり始めた。つづいて本誌第五号に田宮久史氏が発表された「深尾才治郎・治兵衛とのぶの墓」という調査記を参考にして、尊延寺村におけるおのぶの位置を定めた。

 百枚ほどの中編をおのぶの視点から描くことにし、さらに物語に膨らみを持たせるために、百姓たちの動きと、並行させておのぶの恋も描きたい。

 それに尊延寺村の百姓たちは才治郎に騙されて挙兵に呼応したと伝えられているが、百人もの百姓が二十そこそこの若ものに騙されるというのは、一寸おかしいではないか。最後に事件後の大塩平八郎の逃走経路に空白部分があるので、それを大胆に埋めてみよう。

 人物の役割と配置が決まると筋も出来あがり、百姓たちの息づかいも聞こえてくるようだった。

 やがて大塩事件研究会の成果である資料を机の上へ積みあげて、作品を書き始めると、村役人のひとり娘であるおのぶは、肌理(きめ)細やかな頬と、艶やかな丸髷姿のお家はんとしてひとりでに動き出してくれた。

 物語は、生駒山系の麓にある山間の静かな寒村でおのぶが鏡台の前に坐って、密かに心を寄せている男を待っている場面から始まる。

 村役人を勤めていたおのぶの父親は、将来この深尾の家を継ぐ一人娘に「お家はん」として恥ずかしくない教養を身につけさせた。そのため彼女は男にすがって生きるという姿勢でなく、自我を持った女性に成長していた。

 半年前に病死した婿養子の夫は、そんな彼女とは正反対の事なかれ主義の男だったので、夫婦の間はとうに冷えきっていたのである。

 おのぶには二人の息子があり、家を継いだ長男の治兵衛は実直で石橋を叩いて渡るといった人物で、嫁の歌とのあいだに一人娘が産まれたばかりだった。次男の才治郎は兄の治兵衛より四歳下で、どちらかといえば母親の血を濃く引き、利かぬ気で鋭敏な頭脳の持主に育っていた。才治郎は守口で手広く質屋を営む親類筋の白井孝右衛門のすすめで、いまは天満にある大塩平八郎の私塾洗心洞へ住み込み、学問を修めている。そして農繁期だけ生家に帰ってくるという生活をくりかえしていた。その才治郎は一年前の晩夏に、新兵衛という無宿者の中年男を、季節労働者としておのぶの前へ連れてきた。初めは 新兵衛を「江戸から検見(けみ)のめぬきにやってきた男ではないか」と、警戒していたおのぶや治兵衛も、新兵衛の視野の広さと、農業技術の腕の確かさに、次第に心を開いていくのだった。

 新兵衛は無宿者といっても昔は加賀のとある村で庄屋を勤めた過去を持っている。彼は故郷の村で年貢米をめぐって代官所の役人と敵対し、役人の逆恨みを買ってありもしない罪にはめられ村を出てきたのである。新兵衛は禁書の安藤昌益の思想書なども読んでおり、幕藩体制の崩壊がやがて近いことも予知している男であった。それを裏づけするかのように、村の百姓たちの暮らしは、日ましに追いつめられて行き、正月の餅さえつけない有様。

 自作農の忠右衛門は病気の妻をかかえ、薬代のために小前の百姓に転落し、おのぶの家に日雇いとして働きにくる。彼とおのぶとは互いに たけくらべ をしながら手習いした仲。

 世相は天災に加えて悪徳商人の米の買占めで、米の値は天井知らず。巷には行き倒れの数も日ましに増えていた。そうした状況のなかで村を捨てて逃亡者となって行く百姓や、娘を身売する者も増えつつあった。

 一方、政界と結託した富商たちは庶民の窮状をよそに高価な骨董を買い競い、豪奢な生活をほしいままにしていた。平八郎はそんな庶民の窮状を見かねて奉行所へ救済策を進言したが、聞き入れてもらえなかった。そればかりか大塩平八郎の進言を「強訴(ごうそ)」よばわりする始未。平八郎は御政道の刷新をはかるために兵を挙げることを決意して、まず蔵書六万巻を売却してその本の代金を庶民へ配った。

 尊延寺の百姓たちにもその金は才治郎から手渡された。新兵衛と忠右衛門は、挙兵の刻に備えて百姓たちのあいだを固めていた。

 雪の降る夜、新兵衛と結ばれたおのぶは、男たちの慌しい動きのなかに深い企みがあるのを察知する。新兵衛は利発なおのぶに秘して反撥を買うより、事の次第をはっきり打ち明けて協力を求めた方が得策と肚を決めた。挙兵!と聞いて驚かないと誓ったはずのおのぶは事の重大さに絶句する。新兵衛は男と女の関係を超越した次元で、彼女におのれの培ってきた思想を伝えたいと願い、夜の更けるのも忘れて語り明かすのであった。

「世の中の仕組をすぐに変えることは出来ないでしょうが、押しつもどしつしているうちに、百姓たちの力も強くなり、やがては新しい世の中に変って行くのではないでしょうか。」

 おのぶは心を寄せた男の話に耳を傾けながら、男たちを引き止める手段はもう残されていないのだと思い至り、協力を警った。長男の治兵衛は、挙兵に反対する人物としてマークされ、すでに大塩平八郎に呼び出されて、前日から大坂へ出かけていた。

 挙兵の朝は大雪だった。才治郎たちは天満に火の手があがったのを合図に、半鐘を打ち鳴らして村人を集め、大坂表へ駆け出して行く。

 やがて大塩方の敗走。逃げ帰る百姓と共に、捕方も陣屋からやってくる。村には重苦しい空気が立ちこめおのぶは息を潜めて、息子や新兵衛の消息を待っている。枚方宿からやってきた髪結のお常の話では、まだ無事らしい。

 そんなある夜、木地師の通る杣道を伝って平八郎父子がおのぶを頼って落ちてくる。彼女は父子を土蔵に匿い姿を僧形に変えさせて再び逃がしてやる。そんなおのぶの身にも捕方の手がのびてくる。おのぶは最後までお家はんとしての矜持を失うことなく、捕方の前へ自ら出て行く場面で物語は終わりとなる。

 「氷室(ひむろ)の狼煙(のろし)」とつけた作品は、「文化評論」に掲載され、思いがけなく多くの人々から感想を寄せられた。その上、新聞の文芸時評でも農民の側から大塩事件を描いた歴史小説として、過分な褒め言葉も頂載した。これもみな大塩事件研究会の研究資料を使わせて貰ったお陰だと感謝している。この場を借りてその方々ヘ厚くお礼を申し上げると共に、これからも会の発展と会員の御活躍を期待してやまない。   (作家)



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『大塩研究』第20号〜第25号目次

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