Я[大塩の乱 資料館]Я
2001.10.17

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大塩の乱関係論文集目次


「氷 室 の 狼 煙」その13

前 田 愛 子

1983.10『文化評論』より転載


◇禁転載◇

 おのぶの所へ守口から報らせが届いた数日後、髪結のお常が顔を見せた。
「お家はん、つい先日、孝右衛門さまが大坂へ送られなはったのを見てたんだすけど、大層な人出だしたわ。たった二人を船に乗せて行くのに、六十人余りの捕方が三十石船三艘に分れ、孝右衛門さまらの乗ったはる船を真中に挟むようにして警護してたんだっせ。堤の上から眺めていた私らは、あないまでせんかてえやないか言うて嗤うてましたわ。そやかてお二人とも縄目を打たれた上に、綱打駕に入れられたまま乗船させられはったのだすからな」
 お常は鼻の穴を膨らませながらその時の模様をつぶさに語ってくれた。彼女の話では枚方宿の高礼場に大塩父子や主要門人の人相書が貼り出されているという。
「おまけに訴人した者へは銀百枚を与えるというお触れまで出てますのだっせ。こんなこと大きな声では言えまへんが、たとえ銀の百枚が千枚になったかて、誰が大塩さまを訴人しまっかいな」
 過日の平八郎の施行が法に触れるとして奉行所から平八郎に咎があったという噂が巷に流れていたので、人々は挙兵に共感を寄せているのだとお常は言った。その外にも先日、河内の高安で瀬田済之助が縊死していたことや、自訴して出た門人などの動向を詳細に教えてくれた。往来の頻繁な枚方宿で髪結を営んでいるだけあってお常の耳はさすがに早耳だ。
「お上は貧乏人へは何の手も差しのべんと、たまに出す言うたら、腹の足しにもならへんお触ればかりだすわ」
 お常はこのところ暮し向きの苦しさから髪を結う客が減っ愚痴を交えながら、御政道への不満を洩らしていた。「お家はん、気を強う持たはって、息子はんの無事を祈ってあげなはったらよろしいわ」
 お常は瞳を潤ませながら息子二人を事件に関係させたおのぶを慰めてくれた。浅黒く日焼けしたお常の言葉は決して追従でなく、情がこめられていたのでおのぶは先日来の重苦しい気持がいくらか軽くなる思いがした。
 人の出入りが全く途絶えてしまうとおのぶは胸の裡で日を繰った。
〈才治郎とあの方は能登まで逃げ切れたであろうか〉
 旅馴れた新兵衡が道づれだと言っても残覚狩りが思いの外きびしいので男たちの安否が気遣われてならない。根が明るい性分の歌も近ごろてはさすがに無駄口を慎み、夏の間に洗い張りしておいた着物を縫いかえしたりして、ひっそり日を過ごしていた。八重は二、三日前から忠右衛門の家へ行かせて病身の女房の手助けをさせてあった。夕餉が済むとおのぶは十日振りに隠居所へ渡った。
〈そろそろほとぼりがさめた頃やし、ひょっとしたら才治郎たちが立ち戻るかもしれへん〉
 そんな想いがおのぶの心の底にあったのだ。夜になって霙が止んだ外は風が出てきたらしく、裏山で風の渡る音がする。彼女は先ほどから妙に胸騒ぎがして気持が落着かないので、掻巻を頭から被って戸外へ出てみた。庭先の松に寄りそって向かいの谷や、すぐ眼下の里を眺め渡した。けれども村は漆黒の闇の中へ沈みこみひっそり静まりかえっている。ずっと前方にふと狐火のような灯が見えたのは、向こうの沢の曲り角から穂谷川の土橋の上へ現われた赤い提燈の光だった。こうして丘の中腹から眺める眼には提燈だけが揺れながら動いて行く。灯がすぐ下の尊延寺の山門あたりで掻き消すように見えなくなったのをみると、あれは旅の修業僧かも知れない。中世の巡礼街道として発達した東高野街道をすぐ西にひかえた尊延寺には、多くの僧が寄宿しているのだっだ。
 どこか遠くでしきりに犬の吠え立てる声がする。耳を澄ませるおのぶの背後でふと人の動く気配がした。彼女は暗闇からこちらを窺っているらしい相手に一瞬、恐怖を覚えたが気を取り直して誰何(すいか)した。
「お家はん、平八郎だす」
「大塩さま!!」
 夜更けに彼女を訪れたのは紛れもなく平八郎父子であった。人目を憚って案内した土蔵の奥で平八郎はおのぶの前に手をついた。
「忝(かたじけ)ない。このよう結果になってお詫びの仕様もござらぬ。それにこうして厄介までかけ申す」
「減相もござりません。どうぞお手を上げて下さりませ。こんな所で申し訳ございませんが、今夜はゆるりとお躰を休めて下さりませ」
 息子の才治郎もどこかで人の情を受けているのではないかと思えば、目の前の二人の世話はひと事では済まされない。それに平八郎はさして疲労している様子でもなかったが、格之助の方は道中ずっと父の平八郎を庇ってきたのか心身共に疲れ切っている。
 おのぶは積もる話も山々であったが早々に切り上げ、蔵の隅の長持から布団を出して父子を休ませた。平八郎たちがしばらく仮眠している間に彼女は里へ降りて池之坊の庫裡を防ねた。取りつぎに出た小僧に過分の喜捨を渡して住職の真海和尚を呼び出して貰い、理由も述べずに墨染の衣を二人分ゆずり受けた。
「この上のご無理はよく弁(わきま)えておりますが、往来券を二枚そえて頂く訳には参りまへんか。お住職さんには決して御迷感かけしまへん」
 幼い時分からおのぶに目をかけてくれた住職へ彼女は真摯な眼を向けた。往来券と聴いた時、住職の眼に一瞬ゆらめいて消えた光がおのぶの胸を不安にした。しかし穏やかな顔を取り戻した真海和尚は何も問わずに奥へ引き返した
かと思うと、やがて袱紗(ふくさ)包を持って現われた。
「さあ、何も心配せずお持ちなされ」
「お住職さん」
 おのぶはそれだけ言うのが精一杯であった。やがて差し出された包を押し頂くようにして受け取ったおのぶは踵をかえし、爪先立ちで坂道を登っていた。彼女は平八郎の許に結集した男たちの目指していたものが、近ごろになってようやく判りかけてきたのだった。孝右衛門にしても新兵衛にしても、自分の家や自分一個人の栄達とか出世を望まず、一人でも多くの人々に自分たちの考えていることを判らせ、同じような思想(こころ)を持つ人々を押し拡げて行くことによって、自分たちの目指す世の中をつくろうと努めていたのではなかろうか。
〈裏切り者のお蔭で事は破れてしもうたけれど、大塩さまが逃げ延びられる限り、才治郎や新兵衛はんもきっと逃げおうせる〉
 彼女はそう心に言い聴かせながら、幕府の厳しい詮議の目を掠めて平八郎親子を匿う行為に或る種の快感さえ覚えていた。
〈大塩さまが忍びでこの村に度々お掛出でなされたのも、この日に備えてのことかも――>
 平八郎の信頼を得ていると思えば身が引き締まる。
 土蔵の奥で二刻ほど躰を休めた平八郎父子は剃髪して衣を身に纏うと、見た眼にまるで別人のようだ。わずかな時を惜しんで取り交した会話から、おのぶは平八郎たちの逃走経路を知り得た。大坂市中を遁れた父子は河内から生駒山系を辿って穂谷へ出て、裏山伝いにここまでやってきたのである。
「拙者はもっと百姓や町衆の力を信じ結集すべきでござった」
 平八郎は挙兵の直前に門人の武士から四名もの裏切り者が出たのを逃走中に風聞で識り得ていた。痩せて眼だけが異様に光る彼の脳裡に、下辻村の猟師金助の武士に劣らぬ活躍振りが浮かびあがる。挙兵当日、淡路町での最後の砲撃戦で大塩方の狙撃手として城方を恐怖させた金助は、平八郎の同僚でありまた城方の最高殊勲者でもあった玉造与力坂本鉉之助を、いますこしで射止めるところだったのだ。
「そうご自分を責めずに、今は力を蓄えて後日にお備えなさりませ」
 おのぶは平八郎の心痛を思いやり、居心地の良いようにと心を砕いた。
 平八郎ばしばしの休息で力を得ると、これ以上の滞在はこの家に迷感と考え出立の用意を始めた。
「肚はとうに決めております。どうぞあと一晩なりと、休んで行って下さりませ」 おのぶの好意を頑の固辞した平八郎は格之助を従え、払暁の空に星を仰ぎ裏山伝いに元きた山道を密やかに引き返した。
 平八郎父子が僧体に姿を変えて無事に大坂市中へ潜入した翌日の昼前、治兵衛屋敷の裏口から甚兵衛が慌しく駈けこんできた。
「お家はん、もうじきここへ奉行所から役人がやって参ります。あんさんに吟味したい事がおますそうだす。つきましては先日の才治郎はんの件よろしう頼みましたで」
 役人が到着する前におのぶに逢っていま一度頼まなければと思って、甚兵衛は近道をとおってきたのてあった。
 おのぶはそんな甚兵衛に一瞥を与え、
「よう心得ております。その代り歌や孫娘の面倒をお頼み申しましたで」
 彼女は残された者のために頭を下げると役人を迎える準備もあって別棟へ渡った。ひんやりした隠居所で真新しい下着に取り替え、その上に外出用の小紋と紋付の羽織を重ね鏡の前へ坐った。目の前に写し出されたくすんだ紫地の袷は何時か新兵衛と肩を並べて野崎観音へ詣でたい、そう願ってこしらえさせた晴着であった。髪を梳き紅を薄く引いた彼女は鏡台の抽き出しから黒谷のしなやかな紙に包んだ差し櫛をとり出し、髪の間に差し込む。新兵衛から贈られた差し櫛の小菊模様を眺めていると、情を燃やした熱いひとときが甦る。男との触れ合いは短いものだったけれど、彼女はその中で女として充分に生きた。〈それだけでもこれから先、耐えて行くことが出来よう〉
 そう思って鏡の前を離れると、表の方でおのぶの名を呼ばわる捕方の声がする。艶(あで)やかに装った彼女はお家(え)さんとしての衿持を頬に湛え、静かに障子をあけて玄関に向かっててゆっくり進んで行った。

   (おわり)


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