Я[大塩の乱 資料館]Я
2012.4.12

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「大塩の乱関係論文集」目次


「大塩平八郎と西郷隆盛に対する訓誡」
その1
町田源太郎(柳塘居士 )

『古人の懺悔』晴光館・北隆館 1908 所収

◇禁転載◇

十六 大塩平八郎と西郷隆盛に対する訓誡(1)管理人註
   

次に皇后は大塩平八郎、西郷隆盛の二人を召され、二人ながら書を読ん       かう/\ では、章句に拘々たらず、陣に臨んでは、人心を収攬するの徳あり、実 に豪雄の資を以て、経綸の才を兼ね、而も至誠国に憂ひて、其身を忘れ、 かうがい                とゞ 慷慨激越の極、却つて塩賊、薩賊の名を留む、是れ大に憐むべしと雖も、          せうふん 其帰するところは、小忿を忍ぶこと能はずして、大事を遺忘したるの罪             かうべ  た    ぢくぢ なり、と諭し給へば、二人首を低れて忸怩たり、暫くあつて、大塩の恐 る/\、実に仰せの如く、不肖平八郎、窮民の饑餓を見るに忍びず、有 司に迫つて、賑恤の道を開かんとせしに、俗吏等之を顧みざるため、一   ふんど 時の忿怒に堪へず、暴挙を企てゝ、民舎を焼き、人命を損じ、却つて国 家の害毒となりしは、今更慙愧悔恨の至り、幼少より聖賢の書を読み、                                しせう 聊か大義の何物たるを心得たる身が、乱賊の名を得て、天下後世の嗤笑              ことば せらるゝも、一言の陳すべき辞なし、且つ平八郎は、大坂町与力の区々      りよこう くとう                     みだ たる身分、閭巷の狗盗を捕ふより外、何の仕出したることもなく、漫り                  かり に俗吏の横暴を憤りて、読書の子弟を駆集め、一時社会を騒がしたるが、                        そもそ        つと 之を西郷氏の快挙に比すれば、同日の論にあらず、抑も西郷氏は夙に勤                        しやしよく 王の大義を唱へて、維新中興の気運に乗じて、其身社稷の柱石、邦家の      せう  み        のぼ              せんげう 元勲たり、正三位陸軍大将の顕職に陞りて、勲業一世の瞻仰するところ                            なら なれば、不肖平八郎とは大に其撰を異にす、然るに只今頭を駢べて、同 様の仰せを蒙むること、不肖の身に取りて、一層恐れ入つたる次第と、             謙遜すれば、南洲翁首を掉つて、イヤ大塩、成程をいどんは陸軍大将、 君は町与力で、官職は提灯に釣鐘、比較にならんが、学識と才幹はをい どんは到底君に及ばんよ、君の生れるのがもう二十年も後れて見い、維 新の大業を翼賛して、をいどんは其下風に立つぢやらう、大塩は又、そ れは西郷氏、拙者などが、どうして維新の元勲と肩を比することが出来                       あ ゆ やうぞ、謙遜辞譲も時にこそよれ、程を失へば阿諛に近し、何ツをいど   へつら んが諂ひ武士とナ、否諂ひ武士とは申さぬ、誰が目にも陸軍大将の足下                   きま と、町与力の拙者とは同一に見られぬは定つて居る、それを兎や角申す は、足下が故意に拙者を愚弄するお心でも御座るかナ、これは怪しから                          じゆんさい ん大塩と、西郷も血相変へて、詰め寄れば、大塩は額に菜の如き筋を 立て、眼中血走りて、飛びかゝらんばかりの勢ひ、









小忿
わずかな憤
り










嗤笑
あざけり笑
うこと


閭巷
ちまた

狗盗
こそどろ


社稷
国家の重臣

瞻仰
あおぎ見る
こと



南洲翁
西郷隆盛の
こと


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