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次に皇后は大塩平八郎、西郷隆盛の二人を召され、二人ながら書を読ん
かう/\
では、章句に拘々たらず、陣に臨んでは、人心を収攬するの徳あり、実
に豪雄の資を以て、経綸の才を兼ね、而も至誠国に憂ひて、其身を忘れ、
かうがい とゞ
慷慨激越の極、却つて塩賊、薩賊の名を留む、是れ大に憐むべしと雖も、
せうふん
其帰するところは、小忿を忍ぶこと能はずして、大事を遺忘したるの罪
かうべ た ぢくぢ
なり、と諭し給へば、二人首を低れて忸怩たり、暫くあつて、大塩の恐
る/\、実に仰せの如く、不肖平八郎、窮民の饑餓を見るに忍びず、有
司に迫つて、賑恤の道を開かんとせしに、俗吏等之を顧みざるため、一
ふんど
時の忿怒に堪へず、暴挙を企てゝ、民舎を焼き、人命を損じ、却つて国
家の害毒となりしは、今更慙愧悔恨の至り、幼少より聖賢の書を読み、
しせう
聊か大義の何物たるを心得たる身が、乱賊の名を得て、天下後世の嗤笑
ことば
せらるゝも、一言の陳すべき辞なし、且つ平八郎は、大坂町与力の区々
りよこう くとう みだ
たる身分、閭巷の狗盗を捕ふより外、何の仕出したることもなく、漫り
かり
に俗吏の横暴を憤りて、読書の子弟を駆集め、一時社会を騒がしたるが、
そもそ つと
之を西郷氏の快挙に比すれば、同日の論にあらず、抑も西郷氏は夙に勤
しやしよく
王の大義を唱へて、維新中興の気運に乗じて、其身社稷の柱石、邦家の
せう み のぼ せんげう
元勲たり、正三位陸軍大将の顕職に陞りて、勲業一世の瞻仰するところ
なら
なれば、不肖平八郎とは大に其撰を異にす、然るに只今頭を駢べて、同
様の仰せを蒙むること、不肖の身に取りて、一層恐れ入つたる次第と、
ふ
謙遜すれば、南洲翁首を掉つて、イヤ大塩、成程をいどんは陸軍大将、
君は町与力で、官職は提灯に釣鐘、比較にならんが、学識と才幹はをい
どんは到底君に及ばんよ、君の生れるのがもう二十年も後れて見い、維
新の大業を翼賛して、をいどんは其下風に立つぢやらう、大塩は又、そ
れは西郷氏、拙者などが、どうして維新の元勲と肩を比することが出来
あ ゆ
やうぞ、謙遜辞譲も時にこそよれ、程を失へば阿諛に近し、何ツをいど
へつら
んが諂ひ武士とナ、否諂ひ武士とは申さぬ、誰が目にも陸軍大将の足下
きま
と、町与力の拙者とは同一に見られぬは定つて居る、それを兎や角申す
は、足下が故意に拙者を愚弄するお心でも御座るかナ、これは怪しから
じゆんさい
ん大塩と、西郷も血相変へて、詰め寄れば、大塩は額に 菜の如き筋を
立て、眼中血走りて、飛びかゝらんばかりの勢ひ、
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小忿
わずかな憤
り
嗤笑
あざけり笑
うこと
閭巷
ちまた
狗盗
こそどろ
社稷
国家の重臣
瞻仰
あおぎ見る
こと
南洲翁
西郷隆盛の
こと
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