Я[大塩の乱 資料館]Я
2012.4.13

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「大塩の乱関係論文集」目次


「大塩平八郎と西郷隆盛に対する訓誡」
その2
町田源太郎(柳塘居士 )

『古人の懺悔』晴光館・北隆館 1908 所収

◇禁転載◇

十六 大塩平八郎と西郷隆盛に対する訓誡(2)管理人註
   

     おんこえ 神功皇后は御声高く、二人とも控へよ、さて/\平八郎は聞しに勝る癇 癖の強き男よな、東湖随筆にも矢部駿河守の話を引いて、平八郎は肝癪                         あぶ 持の甚しきものなりと記しありしが、実に其の通り、炙り物の金頭を、    ついで   かしら 談話の序に、頭より尾まで、ポリ/\と咬み砕いて、喰ひし由、さもあ                  みだ りなん、憂国の至情はさる事ながら、漫りに悲憤慷慨して、殆んど狂人                もとい の態度となるは、大事を誤まるの基なり、文武兼備の英傑とは云へ、こ       しょう/\ うつは             かいしよく れあるがため将相の器にあらず、聞けば汝が師弟を戒飭したる洗心洞盟 約書にも、公罪を犯せば、則ち族親と雖も、掩護すること能はず、之を                   なんじら          のこ 官に告げて以て其処置に任す、願はくは們小心翼々、父母の憂を貽す                                したが ことなかれと云ふ個條ありし由、国家の秩序を重んじ、官府の法令に遵 ふべき公義の心ありながら、区々たる俗吏を憎むの余り、暴を以て暴に 代へ、甘んじて乱臣賊子に伍するは何事ぞ、而も汝は知行合一を以て、 唯一の精神とする陽明学を奉ずるものならずや、其の学んで知るところ                        たいへき を以て、子弟を律しながら、己れ自ら犯して、身を大辟に陥るは、癇癪                たいきよ と云ふ一つの病あればなり、汝が大説の口吻を借りて云へば、方寸の 即ち大なり、たゞ其中に癇癪あれば、実にしてならずとも云                   つぐ   うづま     やゝ ふべしと、説き示し給へば、大塩も口を噤んで蹲りぬ、良あつて皇后の み けしき 御気色を窺ひ、御教誨の條々、一々肺肝に徹して、迷夢の覚めたるが如 く覚え候、然したゞ一事申し上げたきは、拙者の暴挙元より無謀とは申 しながら、幕府の圧制に対して起る義憤なり、即ち人民を助けて、強者 に敵するなり、即ち上の不正不義に対して鬱屈せる下情を達するなり、 平八郎は決して天皇に向かつて乱をなすにあらず、唯幕府の暴虐に対し                   だつりやく て起るものなり、幕府は一時天皇の権を奪掠せるものなり、之に向つて 平八郎が義憤を洩すも、何ぞ必ずしも咎むるに足らむやと、意気軒昂た       ほ ゝ り、皇后は微笑みて、平八郎黙れと制し給ひ、さて/\汝に似合はぬ弁                 なにがし 護士の口調、誰に学びたるや、井上某とか云へる赤門博士が『日本陽明 学派の哲学』と題する書を著はして、汝の伝記を録したる中に、只今の 如き弁護説ありたり、汝其文章を暗記して、分疏すると雖も、其時代に ありては、徳川氏が天皇に代つて、統治の大権を執れば、之に反抗する 者秩序の破壊者として、乱賊の名を免れ難し、然れども徳川氏も亦一意 に鎖国を以て、政治の方針となし、門閥階級を重んじて、平八郎如き人                 きそく 傑を下僚に沈淪せしめたれば、其驥足を伸すところなく、鬱屈不平の気 勃発して、当時の暴挙に出でたるなり、




東湖随筆










戒飭
かいちょく
気をつけて慎
むこと












大辟
重い刑罰























井上某
井上哲次郎



分疏
箇条に分けて
述べること




沈淪
深く沈むこと

驥足
すぐれた才能


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