天下を擾すものは、必ず智勇聡明の材にして、庸人にあらず、故に
天下を治めんと欲せば、人の智勇を抑へ人の聡明を蔽はざるべから
ず、之を抑蔽するの具、詩書より善きは無し、秦の始皇、詩書を焚き
て、劉項出で、明の太祖、詩書を以て天下を愚にして乱入無し、柴舟の
議論、最も奇警嶄新なり、題して明太祖、論と云ふと雖ども、其実清
の康熙帝を議するなり、蓋し清、北虜を以て中原を奄有し、大位を擁す
と雖ども、明末の遺臣、往々恢復を図らんと欲し、智勇傑出の士、之に
附和せんを恐る、故に陽には忠孝聖人の学を勧め、制義を以て人材を
収め、爵禄を与へて之を心服せしめ、陰には其の聡明を耗し智勇を
鋤きて天下を愚にす、其の術巧なりと云ふべし、柴舟の慧眼、之を
看破し、明の太祖を仮りて天下を警醒せんと欲す、然れども一枝の筆
能く天下の大勢を挽回し得べきにあらず、悉く清主の術中に陥りて悟ら
ざりしなり、且つ制義を以て人を愚にする程朱、理義の学より善きは
なし、陽明の良知説の如きは、其讐敵なり、故に程朱を揚げて王学
を抑へるに汲々たり、凡て程朱を学ぶ者は、章句理義に専ら心を注ぎ、
精を耗し、白首経を抱きて窓下に老死する者多く、所謂知りて行はざる
の徒、是なり、清主之れを以て天下の智勇聡明を抑蔽す、択ぶ所を得た
りと云ふべし、されども知りて行はざれば、忠孝の説も紙上の空論のみ、
政教に於て何の補ひあらん、一時は治め易しと雖ども、人心日に腐触し、
元気年に消耗し、百年の後、爛潰して復収拾すべからざるに至る、是れ
現今清人の卑屈古陋に甘んずる所以なり、柴舟、明室を恢復するの志
無しと雖ども、予め今日あるを慮りて、天下を警醒せんと試みたるもの
ならん、
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