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我邦の徳川氏、覇府を開きて大政を執るや、亦清主と同一の術策を
用ゐて、天下の智勇聡明を抑蔽せり、乃ち林氏を学官に挙げ、専ら程
朱の学を講じ、士を薫陶せり、歴代益々祖法を固守し、終には程朱の外、
異端として之をM斥す、学者悟らず、滔々焉首を俯して之に従ふ、其極
幕末志士心の解体、言ふに忍びさるものあるに至る、恰も明室の末年清
朝今日の形勢と相似たり、鳴呼、明清の両祖、徳川氏と其の術を同うし
て、一時無事なりと雖ども、子孫の時代に至りては、又同一の覆轍を踏
む、天下を治むるもの鑑みざるべけんや、
徳川氏、陽に王室を尊び、陰に之を抑ふると共に、陽に忠孝聖人の学を
人に勧め、陰に之を制す、是れ陽明の実学を憎んで程朱の空理を喜ぶ所
以なり、而して積弊の極まる所、口に孝悌忠信を唱へて、身之を行はず、
元気消耗して、浮薄俗を成す、徳川氏の末路、麾下士人の操行を視て知
るべし、其間傑然俗を出で、人の耳目を驚かせしを大坂の大塩平八
郎氏とす、大塩夙に王学を唱へ、程朱に反し、実践躬行を主として、
訓詁章句を事とせず、晩年の一挙過激に失すと雖ども、是れ民庶の窮阨
を憂ひ、俗吏の挙措を憤り、禍福生死を顧みずして、所謂身を殺し仁を
為す者なり、夫れ一胥吏の身を以て、偉々数十の門弟を率ゐ、銃槍の具
備はるにあらず、城壘の固有るにあらずして、堂々たる天下の兵に抗す、
其頭顔の保つべからざる三尺の童子も知る所、而して彼れ敢然勇往、狂
愚の名を取り、死して顧みず、其志訓詁章句に汲々として名利を貪る
腐儒の知る所にあらざるなり、
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民庶
世の中一般の
人々。庶民
城壘
(じょうるい)
とりで、しろ
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