Я[大塩の乱 資料館]Я
2012.8.4

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天保の飢饉と大塩平八郎

その1

町田柳塘・樋口麗陽

『滑稽日本史』晴光館 1920 所収

◇禁転載◇

九五 天保の飢饉と大塩平八郎(1)管理人註
   

 天保四年から、米穀は稔らない上に、金銀は疏悪なために、米は日に /\高くなる。オイ/\一体どうしたもんだらう。百姓は米が出来ねえ で大弱りだが、百姓ばかりぢやねえや、米が出来ねえと、おらたちまで 食ふものがなくなる。あつても高くて買へねえや、是れから先きどうな              こやつ るといふんだらふナ。オヤ、此奴をかしな奴だな、人が話しかけてるの に、何とも言はねえ。話をしたいは山々だが、三日前から芋ばかり、そ れも今朝になつては喰へねえ始末、腹がこれでよ。なんかをかしな手つ きをしやがつて、両方から掌を押し寄せて、ハハア分つた。腹がぺちや                           かどなみ んこだと云ふのか、そんな事ならお祭りの提灯ぢやねえが門列だ。手前             おいら  うち           お か ら なんかまだ芋で仕合せだ。乃公の家ぢや、餓鬼どもにだけは豆腐粕を買 つて喰はしてるが、近頃熊さんの家の子供は、耳が段々長くなつて、眼 の色が変で、足が短くなつて、代りに手が長くなつて、まるで兎のやう                          かゝあ       ・ ・ になつて往くと、蔭口を利きやがるぢやねえか、乃公と嚊は、其のおか らも喰へねえから、水ばかり、腹の中はダダブダブ、まるで破れた法華 の太鼓のやうなもんだから、近辺の奴等が、熊さんの家ぢや一向宗だつ     い つ たが、何時から法華に宗旨替へをしたんだらう。毎日毎晩ダダブダブと         ぬか 太鼓が鳴つてると吐しやがるぢやねえか、成るほど分つた。近頃毎晩ダ                      ゑしき ダブ/\/\ドンツクドンの太鼓の音、今頃お会式でもあるめえと思つ てゐたが、手前達の腹鳴りか。殴られるな此の野郎、だが此の儘ぢや死             まぐろ んで了ふ。これでもなア、鮪の刺身か鰻の蒲焼か何かで喰つて死にや、             つら 閻魔の処に往つても大きな面も出来るが、水と湯ばかりぢや巾が利かね、 第一食はずに死ぬなんて見つともがよくねえ、構ふもんか、どつちにし                  て死ぬのなら、人のものでも何でも掻つ浚つて、甘いものでも鱈腹喰つ                  かつ たが増しだぜ、打ち首にされるのも、飢れて死ぬのも、死ぬのに二通り やありやしねえ。そうだとも/\、やつゝけろ/\といふ有様で、盗み     かた を働らく騙りをする物騒千万、そうかと思ふと、どうした/\、何だ/\。 ウム往き倒れだ/\。ナニ往き倒れだ。死んでるぢやねえか。当り前よ、 死んでるから往き倒れだといつてるぢやねえか。馬鹿つ、死んでるなら ・ ・                           かしこ いき倒れでなく死に倒れぢやねえか。江戸表ですら、其処にも彼処にも 往き倒れ、或ひは徒党をして盗み人殺しをするといふ、頗る危険な始末、 それが三年も続いたのだから堪らない。石の団子がお手々の団子か、そ                               うゑ んなものは喰へない。それが美濃、甲斐、下野、上野、其の他全国饑に            らういう 泣いて、苦し紛れの悪事浪遊、各大名も内々事あらばと、武を練り馬を 肥すといふ有様、此の児棄つれば此の児育たず、此の児棄てざれば此の     うた 身飢うと詩つたのも此の時である。




































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