天保四年から、米穀は稔らない上に、金銀は疏悪なために、米は日に
/\高くなる。オイ/\一体どうしたもんだらう。百姓は米が出来ねえ
で大弱りだが、百姓ばかりぢやねえや、米が出来ねえと、おらたちまで
食ふものがなくなる。あつても高くて買へねえや、是れから先きどうな
こやつ
るといふんだらふナ。オヤ、此奴をかしな奴だな、人が話しかけてるの
に、何とも言はねえ。話をしたいは山々だが、三日前から芋ばかり、そ
れも今朝になつては喰へねえ始末、腹がこれでよ。なんかをかしな手つ
きをしやがつて、両方から掌を押し寄せて、ハハア分つた。腹がぺちや
かどなみ
んこだと云ふのか、そんな事ならお祭りの提灯ぢやねえが門列だ。手前
おいら うち お か ら
なんかまだ芋で仕合せだ。乃公の家ぢや、餓鬼どもにだけは豆腐粕を買
つて喰はしてるが、近頃熊さんの家の子供は、耳が段々長くなつて、眼
の色が変で、足が短くなつて、代りに手が長くなつて、まるで兎のやう
かゝあ ・ ・
になつて往くと、蔭口を利きやがるぢやねえか、乃公と嚊は、其のおか
・
らも喰へねえから、水ばかり、腹の中はダダブダブ、まるで破れた法華
の太鼓のやうなもんだから、近辺の奴等が、熊さんの家ぢや一向宗だつ
い つ
たが、何時から法華に宗旨替へをしたんだらう。毎日毎晩ダダブダブと
ぬか
太鼓が鳴つてると吐しやがるぢやねえか、成るほど分つた。近頃毎晩ダ
ゑしき
ダブ/\/\ドンツクドンの太鼓の音、今頃お会式でもあるめえと思つ
てゐたが、手前達の腹鳴りか。殴られるな此の野郎、だが此の儘ぢや死
まぐろ
んで了ふ。これでもなア、鮪の刺身か鰻の蒲焼か何かで喰つて死にや、
つら
閻魔の処に往つても大きな面も出来るが、水と湯ばかりぢや巾が利かね、
第一食はずに死ぬなんて見つともがよくねえ、構ふもんか、どつちにし
か
て死ぬのなら、人のものでも何でも掻つ浚つて、甘いものでも鱈腹喰つ
かつ
たが増しだぜ、打ち首にされるのも、飢れて死ぬのも、死ぬのに二通り
やありやしねえ。そうだとも/\、やつゝけろ/\といふ有様で、盗み
かた
を働らく騙りをする物騒千万、そうかと思ふと、どうした/\、何だ/\。
ウム往き倒れだ/\。ナニ往き倒れだ。死んでるぢやねえか。当り前よ、
死んでるから往き倒れだといつてるぢやねえか。馬鹿つ、死んでるなら
・ ・ かしこ
いき倒れでなく死に倒れぢやねえか。江戸表ですら、其処にも彼処にも
往き倒れ、或ひは徒党をして盗み人殺しをするといふ、頗る危険な始末、
それが三年も続いたのだから堪らない。石の団子がお手々の団子か、そ
うゑ
んなものは喰へない。それが美濃、甲斐、下野、上野、其の他全国饑に
らういう
泣いて、苦し紛れの悪事浪遊、各大名も内々事あらばと、武を練り馬を
肥すといふ有様、此の児棄つれば此の児育たず、此の児棄てざれば此の
うた
身飢うと詩つたのも此の時である。
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