Я[大塩の乱 資料館]Я
2012.4.14

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「大塩の乱関係論文集」目次


「大塩平八郎と西郷隆盛に対する訓誡」
その3
町田源太郎(柳塘居士 )

『古人の懺悔』晴光館・北隆館 1908 所収

◇禁転載◇

十六 大塩平八郎と西郷隆盛に対する訓誡(3)管理人註
   

こゝ                            いくばく 是に於て徳川氏も、既に統治の大権を執るべき能力なし、されば幾何な                けつき らずして、尊王討幕の志士四方に蹶起したるなり、こゝより観れば、平       たま/\ 八郎の暴挙、偶以て幕府の破綻を示す第一の手始め、間接に明治の維新 を促したるものと云ふべし、隆盛に至つては、其事情大に同じからずと                   えいまい       うち いへども、其の海外に向つて発展すべき英邁の気が、中に鬱積して爆発 したるは相似たり、博士井上某、隆盛を論じて、彼れ征韓論を廟堂に唱 へて議合はず、退いて其不平を抑ふる能はず、遂に暴挙に及べりと云へ るは好し、次に暴挙の忌むべきは言ふまでもなけれども、彼れ此れによ りて、活気を惹起せり、士気を鼓舞せり、実弾の演習をなさしむを得た           へうかん り、南洲の兵の如き、慓悍なるものを、敵として戦ひたればこそ、我兵                      かく も直に其胆と其術とを鍛錬するを得たるなれ、此の如くにして鍛錬し得 たる其胆と其術とは、確かに日清戦争に応用せられ、其勝を制する一大 原因たりしこと疑なきなり、果して然らば後人豈南洲に負ふところなし とせんやとは、面白き推論なり、これによれば隆盛、汝が乱を煽して、 叛賊の名を得ざれば、日清の役に、彼を破ること覚束なかりしならん、             えうちやう 随つて日露の戦ひに、彼を膺懲するを得ざりしならん、此の如く論じ来 らば、平八郎、汝の暴挙なかりしならば、世は何時までも徳川のものに て、幕吏に反抗して、勤王を唱ふる者も出でざりしならん、古来の乱臣                          ひえき 賊子、皆此筆法を以て論弁すれば、一人として国家を裨益せざるものな し、さは云へ其時代の官府に抗し、暴挙を企つる者は、動機の如何を問 はず、乱賊の名を負はさるゝ当然の事なり、汝等が塩賊薩賊を以て罵ら るゝも、自ら招きし罪にて、今日より回想すれば、中心に悔るところあ                              せうふん らん、我は其情実を諒として、深く其罪を問ばざれば、自今互に小忿を               そもそ 忍んで、共に大事を謀るべし、抑も大事と云へば、大和民族の発展なり、 海外に向かつて日本の国威を輝かすなり、我意のあるところを体して忘         じゆん/\ す るゝことなかれと、諄心数百言。二人を誡めければ、二人は茫然として、                               ふく 顔を見合せ居りしが、語を揃へて、御教訓は二人共、日々三省して、服 えう 膺すべし、たゞ其の大和民族の発展を図るの一事、如何なる方略を以て すべきか、此儀併せて御指教下されたしと述べたり、皇后は欣然として 喜び給ひ、汝等が尋ぬるまでもなく、其方略を授くべきなれども、先づ 其前に汝等二人は勿論、豊臣秀吉、徳川家康、北條時宗、伊達正宗、其 他古来の英雄豪傑を糾合し、互に胸襟を披き、心事を談じて、一致の運 動を為すべき盟約をなすこそ肝要なれ、汝等若し私怨のために紛争しを かも 醸し、海外あるを忘るゝに於ては、我自ら処分あり、先ず盟約の成るま                             しづ/\ では、暫く此処を退くべしと、仰せられて、武内宿禰を随へ、徐々飛行                   ぐ ぶ 船の中に入り給へば、左右の美人隊は倶奉しまゐらせ、やがて奏楽の声 起り、船体は飄々として大地を離れ、見る/\雲間に入りて見えずなり ぬ。































膺懲
うちこらす
こと





裨益
助けとなり
役立つこと






小忿
わずかな憤
り






服膺
心にとどめ
て忘れない
こと
 


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