扨茲に於て大塩先生、迚も日を移しては勝利なしと思ひましたから、其夜の
暗きを幸はひとし、八方へ逃しまして自分も油掛町の染物業吉見屋五郎兵衛
かね
の家は予て大塩家にて資本を出して遣た恩がありますから、其吉見屋を頼ん
こゝ
で土蔵の中へ隠れました、此に至りまして、奉行跡部は益々大塩先生を憎み、
よもや はりつけ
「彼が豈夫天狗魔神ではあるまい、何処へ隠れるとも探し当て厳刑に処せず
に置くべきか」
と人相書を八方に出して捜索いたしましたが、少しも其行衛が知れません、
ゆる
譬へ高野山に隠れて僧侶になつて居ても赦すべき者らあらずと内々高野山を
も探しましたが知れません、然るに大塩先生天運の尽る処か、隠れて居る吉
見屋の下女が毎日家内の人数に比べて米の炊きやうが多いのを不審がつて、
もし
若や匿し人でもあるのではないかと思ひ、其頃は大塩父子の居る処ろを知ら
する者へは厚く褒美があるといふ触が出て居ますから、用事があるといつて
う ち をやぢ
一日の暇を貰つて平野の自家へ帰り、此事を親父に話しますと夫は大変な者
を見付出したと大に喜こんで平野の陣屋へ訴へ出でました、されば陣屋より
之を奉行所へ告げましたから、奉行跡部は大に喜こびまして、頃は天保の八
まはり は い
年三月二十六日、俄かに万余人の大勢を吉見屋の周囲を蟻の匐匍出る隙もな
く、取囲みました、其騒ぎを蔵の中なる大塩父子は悟りまして
「忰、迚も遁れぬ処ろと相成つた、早く用意の火薬を以て彼等を驚ろかして
潔ぎよく切腹せん」
「ハツ、畏こりました、先づお父上、お覚悟をなさいまするやう、私は捕方
やつら
の奴輩に死出の思ひに一泡吹かして遣まする」
といふ内にドヤ/\と捕方の人々が押し入り、蔵の戸前へ近付き
「ヤア/\大塩父子の者、とても遁れる処にあらず、尋常に縄にかゝれ」
よば はづ
と呼はりましたから、大塩格之助、板戸を外して躍り出で
ぬか
「ヤア/\己等、何を吐す、大勢の人をば救はん為めに大事を起したる大塩
どあい
父子、汝等如き奴輩の手に捕はれるべきや、今大塩が死出の思ひを知らして
呉ん、近寄て見よや」
といふより早く、手に持つたる爆裂弾を投げ付けましたから、何かは以て堪
るべき、ドヾンといふと爆裂して蔵の中は煙りが一杯になりました、其隙に
大塩父子は腹掻切て、見事の最期を遂げました、時に伏せ置たる火薬へ火が
移りまして一時に燃へ上りましたから、流石の捕方も進むことが出来ません、
夫れ火を消せといふと、一同が消防に尽力して漸やく消し止めまして蔵の中
くろこげ
を見ますると、既に大塩父子は黒焼となり居りました、其死骸へ縄を掛けて
引立て、奉行所へ引揚げました、時に大塩先生は四十四歳、養子の格之助は
二十五歳でありました、夫より大塩父子の死骸は引廻しの上にて磔刑になり
ましたのは実に惨酷のことでございます、死んだる者に何の罪かあらう訳が
はりつけ
ありませんが全たく奉行跡部山城守が憎んだばかりで磔刑になつたのであり
むほん
ます、夫から吉見屋の五郎兵衛も反逆人を匿まつたといふので斬罪に行なは
れました
其他同類の人々も追々に召捕れまして、夫々刑に行なはれましたが、夫は畧
して申し上ません、先づ是にて大塩平八郎君の伝は終りといたします、左様
なら……
嗚 呼 浮 世
儘にはならす
花 の 雨
大塩平八郎 畢
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