Я[大塩の乱 資料館]Я
2016.3.20

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「大塩の乱関係論文集」目次


『大塩平八郎』 その36

松林白猿 講演

安藤粛太郎速記(英雄文庫 9)萩原新陽館 1901

◇禁転載◇

第八席(4)

管理人註
  

然るに今日他国より帰り来りましたる一人の豪傑、年は二十五歳なれども智 勇の聞へ高く、大塩先生の門弟では一二を争そう処ろの宇津木矩之丞といふ 人があります、此人は久しく他国を修業いたして居りましたから、此度の大 塩先生の決心は少しも知りません、只今始めて知たのでありますから、大に 驚ろいて先生の前へ進み出で 「恐れながら矩之丞申し上まする、先刻よりの先生の御振舞ひ、何とやらん 軽々しう見受けまするが、一体如何のことより起りたることでございませう か、一応伺がひ奉まつります」 と問はれて先生、初めのことを悉ごとく此宇津木に物語りますと、宇津木は 大に驚ろいて                          みだ    かんくわ 「幵は先生の御憤どほりは御尤ともにはござりまするが、濫りに干戈を動か すは甚はだ以てお宜しくござりますまい」                       いさ と色々意見を申し上ましたが、こと此処に及んで諫めても無益のことであり ますから、宇津木は其場で切腹をいたして先生へ意見をいたしました、先生             やが 黙然として居りましたが、軅て言葉を発し     よく/\    つた 「アヽ、好々運の拙なき男かな、今日に限つて帰り来りし故、切腹をいたし て惜き人物を失なつたり」 と申しました、さて東天漸やく白く相成る時しも、一同の人々は充分に用意                       をいたして、天満川崎なる大塩先生の家に火を点けましたから、黒煙忽まち                        のろし        とき 天に漲ぎり、ハツと燃へ上るを相図にドーンといふ狼煙一発、之に合して鬨 の声をワーワツと揚げ、三百余人の同志二隊に分れ、一隊は城代奉行を討ん と進み、一隊は鴻池始め物持町人の家を焼て金銀米穀を奪ひ、貧民に施こさ                 いでたち んと進みました、大塩先生、其日の打扮を見てあれば、白小袖の上に黒羽二      どんす  すそべり       しゆちん 重の紋附紺純子の裾縁を深く取りたる繙珍の野袴、黒羅紗の陣羽織を着流し、                        こがね 頭には二十四間の白星打たる鍬形付の兜を戴だき、黄金作りの大小を帯し、 しやう      さい 猩々緋切り割の麾を右の手に握り、威風凛々として押し出しました、先づ鴻 池へ木砲の大砲を一発ドヾーンと打ち込みましたから、忽まち破裂して火を 発し、ボーツと燃へ上ると、有志の人々、真先に進んで庫の中より金銀を掴                                 かね み出し、蔵よりは米穀を出して、集まりたる貧民へ遣はしまする。是は予て 大塩先生が檄文を出してありますから集まつたのであります、夫より三井呉 服店より岩城屋呉服店、加島、平野と大家の処ろへは皆打入て火をかけます から、老若男女は泣叫んで逃げ出す、其跡へは貧民が集まつて思ふ存分に米 穀を持ち去り、其日の夕方までは大家ばかり六百軒焼き、惣数二万戸ばかり                                 みなごろ を焼払ひましたるは、実に恐ろしき有様でございました、又城代奉行を鏖殺 しにいたさんとしたる一隊は、脇目も振らず奉行の役宅を望んで大砲を打か け、奉行城代も必死となつて防戦いたしましたから、其夕刻に至るまで勝敗 は互ひに決しませんでありました



石崎東国
『大塩平八郎伝』
その113

































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