Я[大塩の乱 資料館]Я
2014.7.27

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「大塩の乱関係論文集」目次


「大塩平八郎」
その1

真山青果(1878-1948)

『真山青果全集 第4巻』 大日本雄弁会講談社 1941 収録

◇禁転載◇

第一幕 (1)

管理人註
  

    天保七年丙申十二月中旬。     大坂天満、四軒屋敷。   東組与力隠居大塩平八郎の居宅、謂ゆる洗心洞学舎なり。場面の装置   は平舞台にて、平八郎の書斎を内部より見る。左方は襖をへだてゝ講   堂(講礼堂)に接し、右方は縁側づたひに土蔵の前を通りて勝手向き   につゞく。床の間あり、頼山陽筆の壁上留詩の大幅を掲げ、書額、衝   立など見ゆ。壁間には隙間なく書物箱を積み重ねたり。   正面の障子は開けたるまゝにて、奥庭を見る。左方に竹林あり、右方               ばんきよ   に小池あり、老松その汀に蟠踞す。植込の間より隣地束照宮の甍を望   む。     平八郎の妾おゆう(三十九歳)、左方の障子の外に立つ。平八郎     (四十四歳)室の中央に青氈を敷きて「天保丙申秋登*甲山*」の     詩幅を大書し終れるところにて、筆を持ちたるまゝおゆうの顔を     凝視す。門生河合八十次郎(十七歳)、侍坐しで揮毫をたすく。     後の人相書によれば平八郎は「顔細長く色白き方、目張強き方、     眉毛細く濃き方、額開き月代薄き方、背恰好常体云」とあり。                             つや/\     おゆうはやゝ病身らしく、薄皮だちの女にて、切髪を沢々しく撫     で附けたり。常に平八郎の前を畏るゝ気色あり。     勝手の方より微かに嬰児の泣き声聞える。                       あかご 平八郎 (対者の眸を見詰むる癖あり、厳かに)嬰児が泣いてる。 おゆう は? 平八郎 (持てる筆を顫はせ)書いてゐるのだ。 おゆう は――。 平八郎 えゝ、もう宜しい。     おゆう、不審のうちに立ち去らうとする。 平八郎 (鋭くその後ろ姿を睨みしが、急に)そして格之助はまだ帰らな    いか。 おゆう 今日は帰りが遅いやうに云つて居りました。(と戻る) 平八郎 あいつ―――。(紙上の文字に視線を移しつゝ、嘆息するやうに    呟く)又まづい返答を持つて帰るやつだ。 おゆう 何か御奉行さまへ……御建白でもなさいましたか。     おゆう、気遣はしげに閾際にかゞむ。 平八郎 (筆に墨を含ませつゝ)大坂三郷では今、毎日五七十人づつ、  人間が餓死してゐるのだ。(悠然と落款を書く) おゆう けれども余り然う……御奉行所へお迫りなされては、格之助の身    にどうござりませう。 平八郎 (吃ッと顔を上げて)格之助が、何――。 おゆう 矢部さまなどと違つて、新御奉行さまは御壮年にまかせて大そう    鋭いお方と伺ひましたから、若しまた組方のものにお憎しみでもかゝ    りますやうでは…… 平八郎 政治筋だ、口を出すのか。 おゆう いゝえ、決して然うではどざいません。たゞ今朝、格之助が出勤    する時、すこし思案顔に見えましたから、おみねともそれを心配し    て居ります。 平八郎 (突然、遮つて)三平に云ひ付けた、新塾舎の掃除は出来てゐる    のか。今日矩之允が三年ぶりに、長崎遊学から帰つて来るのだ。彼    が好みさうなものを、然う云つて置いてくれ。 おゆう 宇津木さんは深くお酒をあがりませんから…… 平八郎 何んでも好い、早くせい。おれは事によると、この洗心洞を彼に  譲るかも知れないのだ。早く、用意をしてくれ。      おゆう、去る。      平八郎、筆を置いて、頤にて少年に指図する。八十次郎、立つ      て揮毫の大紙二葉を衝立の縁に掲げ、文鎮にて抑へる。      塾生大井正一郎(二十二歳)、講堂より入り来る。平八郎を恐      れてオド/\せる態度、遠く固く坐つて云ふ。白小倉の袴、背      高く顔赤黒く、粗野なる男。 大 井  先生、瀬田氏、小泉氏が見えました。 平八郎 (立つて文字を眺めつゝ)然うか。 大 井 それから吉見、河合等の衆はどう致します。まだ待たせて置きま    すか。 平八郎 (少し顔を顰めて)会ふのが厭やなのだ。――どうで愚痴だ。      瀬田済之助(二十四五歳)、小泉淵次郎(十七歳)入り来る。      ともに東組与力にて、平八郎の門弟なり。二人は立ちながら詩      句を読む。後ろ向きの平八郎はそれに心付かず。 大 井 それからで御座ります。(顔の汗を袖にて拭つて)庄司生の手配    をもつて、南本町の高上屋から白焔硝や硫黄の類を買ひ求めたさう    でございますが、これはどう致します。 平八郎 格之助は留守だが、八十や英太を連れて、お前が引き取つて来た    ら好いだらう。 大 井 は。     大井去る。八十次郎、座辺を片付ける。


(おとがい)











































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