Я[大塩の乱 資料館]Я
2014.7.28

玄関へ

「大塩の乱関係論文集」目次


「大塩平八郎」
その2

真山青果(1878-1948)

『真山青果全集 第4巻』 大日本雄弁会講談社 1941 収録

◇禁転載◇

第一幕 (2)

管理人註
  

瀬 田 はア――過日の六甲山遊覧の御作でござりますな。 平八郎 (振り向きて)あ、貴公か――。     平八郎、時として微かなる物音にも愕然として顔色を変ずる癖あ     り。                                 りんり 瀬 田 (微吟)今日思深似前海。彷徨不独為詩篇――相変らず淋漓    慷慨でございますな。      じくじ 平八郎 (忸怩としてやゝ眼を伏せ)いや、些か自ら警しむるこゝろもあ    るのだ。(苦しく笑つて座につく)    瀬田、小泉、坐る。八十次郎、去る。 瀬 田 時に先生、今日格之助君をもつてお上へ何か進言されたとは事実    でござりますか。 平八郎 (驚きて)誰に聞いた。 瀬 田 小泉がいま役所で聞いて帰りました。先生、少しまづい事でした    なア。 平八郎 (手爐を退け、小泉を見て)何かあつたのか。         こさい 小 泉 いゝえ、巨細にはわたくし存じませんが、格之助さんの顔色がたゞ    ごとならず見受けましたから……。 平八郎 (鋭く)それは跡部に会つた後か。 小 泉 いゝえ、これから御座を願はれるところでした。(やゝ俊巡する) 平八郎 格之助には無理だつた。(額を抑へて俯向きつゝ)あいつには、    情熱がない。 瀬 田 先生、いづれ窮民救恤の御進策でございませうが、少し功をお急    ぎになりはしませんか。いかに時務に適切なる名策がありましても、    新御奉行は大塩平八郎と云ふ名声を忌々しく思つてをりますから、    意地にも先生の意見に従ひません。 平八郎 まア好い……まア好いよ。    平八郎、額に手を加へたるまゝ、聞き苦しさうに思案する。 瀬 田 前任の高井や矢部はどこに見処あつて大塩を買ひ被つたか知れな    いが、俺は俺の見識をもつてお預りの大坂を始末する。高が与力の    隠居風情が、何を知つて、煩さく御大法に差出口をするか、新御奉    行は斯う思つてゐるらしうございます。 平八郎 その尊大は確かにあるな。(やうやく顔を上げて)兄弟とて剛愎    な点は、兄の水野越前によく似てゐるやうだ。 瀬 田 それに新任の西奉行堀伊賀守は、水野さまの腹心鳥居耀蔵と義兄    弟にあたります。ます/\大坂の政道は、水野さま一党をもつて基    礎を固めて、過激な変革を企てるに相違ございません。 平八郎 (呻くやうに)用ゐると用ゐないとは、こりや仕方がない。わし    はたゞ自己の至誠を吐露するだけだ。                             くちばし 瀬 田 然し、奉行方では然うは見ません。先生が始終政治に嘴を容れら    れるのを、自ら功用を急いで世間に用ゐられようとしてゐるやうに    云ひます。 平八郎 (不快さうに笑つて)わが良知の欺かざるあり。それで好いでは    ないか。 小 泉 先生。 平八郎 あん。 小 泉 然し、組替の噂は真実らしうございますよ。跡部さまは西奉行堀    さまの着任を待つて、われ/\東組の与力同心にかなり厳しい御作    法をなさるらしく見えます。 平八郎 その為に吉見や郷左が先刻から訴へに来てゐるのだが、わしには    どうも然うは思へない。 小 泉 いゝえ、平山もそれを憂へて居りました。今更ら西組に助役を申    し付けられ、わが組の与力同心一統がその下知につくやうになつて    は、どうも世間に顔向けがならないと申して居りました。 平八郎 それぢや、跡部は俺に喧嘩を売るやうなものだ。然うぢやあるま    い。 瀬 田 一同を此方へ呼んでも宜しうございませう。直接お聞きになると    次第が判ります。 平八郎 兎にかく貴公等は、跡部をあまり小人に見たがる、それほど侫奸    の男ぢやない。    瀬田、立ちて講堂に行く。 平八郎 そりや東組の与力同心には、兎角わしの説を信仰して、奉行跡部    の新政を拒むやうな傾きはある。与力同心は土地に土着だし、東西    奉行は江戸からの赴任で大坂の風俗に馴れないから、厭やでも土着    の下役の言葉を聞くことになる。上に立てば、なる程それは不快だ    らうと思ふ。然し、東西二組に与力同心を置いて、互ひに弊害を牽    制し合ふのは、こりや御代々の規模になつてゐて、双方両立すると    ころに御深慮があるのだ。跡部輩の意見をもつてその制度を改革出    来るものではない。

   


「大塩平八郎」目次/その1/その3

「大塩の乱関係論文集」目次

玄関へ