Я[大塩の乱 資料館]Я
2014.9.13

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「大塩の乱関係論文集」目次


「大塩平八郎」
その48

真山青果(1878-1948)

『真山青果全集 第4巻』 大日本雄弁会講談社 1941 収録

◇禁転載◇

第五幕 その四  (2)

管理人註
  

平八郎 自分にも気がつかなかつた。おれは初めから勝負を予想してゐた    か、それさへ自分には判然しない。跡部方から最初の発砲で、傍に    ゐた砲術師範の梅田がバタリと倒れ、味方の総勢が浮足立つてどツ    と崩れかゝつた時に、おれはその瞬間に、おゝ負けてよかつた、こ    れでおれは救はれたと……然う考へてゐる自分に気がついたのだ。    考へて見ても、何んの理由もない。たゞ然う考へてゐる自分を発見    したのだ。この際はたゞ、負けることよりほかに休息がない、求め    るところのおれの時間が、敗北によつて初めて得られるやうな気さ    へした、その悦びのやうな安心が、今猶ほおれの心に続いてゐるの    だ。おれの此度の企は、残賊を誅して人民の害毒を絶つが第一、第             あば    二には富者の私有を発いて陥溺を救ふと云ふのが最初の目的であつ                               なんな    た。然るに、目的の第一は全く破れ、第二の目的は、成るに垂んと    して挫折してしまつた。主謀著としてのおれは、天を怨まず人を咎           し り    めず、至極の至理のうちに自分を見出すことが出来るが……たゞ悲    しくも傷ましきは諸兄諸君だ。おれは生きて諸君の顔を見、声を聞    くに忍びないやうな気がする。死んでくれとも、生きてくれとも、    おれの口からは……頼む言葉がない。この上は唯この同舟の会合を       だんらん    最後の団欒として、諸君自身の心に従つてくれと云ふよりほかはな    い。君等もおれに別れる時……おれも君等に別れる時だ。どうか我々    親子には斟酌なく、銘々の途に進んで貰ひたいと思ふ。    平八郎、歔欷して泣く。一同、顔を上ぐるものなし。たゞ庄司一人    は、遠く離れて疼痛に呻く。 平八郎 白井を初め郷村の衆は、身分が農民だけに嫌疑をのがれる方法も   あるだらうと思ふ。真に平八郎を思ふこゝろあらば、みな銘々の自分     かへ    に復つてもらひたい。橋本、お前に頼みたいのは……女どものこと    だ。如何やうにしても伊丹の紙屋に隠れ忍ぶ彼等を尋ねて、今後の    処置をつけてもらひたい。彼等も人だ。このまゝにして別れては……    残酷過ぎる。 忠兵衛 今後の処置とは……女どもに自殺をすゝめますか。 平八郎 女どもは恐らく、死ぬとは云はないだらう……。たゞおれの、こ    の心持を話して聞かせてくれゝば、それで好からう。 忠兵衛 あなたは? 平八郎 いづれ免れぬ身ながら、おれには少し考へがある。 忠兵衛 然し――大丈夫ですか、大丈夫ですか、先生。(平八郎の手を握    り、眸を固めて不安さうに念を押す) 平八郎 死ねるかと聞くのか。(寂しく笑つて)今は、大丈夫と思ふ。お    れは今、却つてこゝろのなかに悦びを見てゐる。 瀬 田 (突然、顔を上げ)先生、僕等は先生をはなれません。最後まで、    先生に従つて行きます。渡辺、庄司、みな同じ覚悟と思ひます。 平八郎 それが君の本心なれば、強ひて止めようとは思はない。ただ、何    処へ死場所を求めに行くとしても、大小を差してゐては人目にかゝ    るだらう。一同刀を棄てるがいゝ。    平八郎、大小を河中に投ず。平八郎に従はんとする者は、みな同じ    く刀を河中に投じる。急雨来り、ハラ/\と音して土に降る。    避難民の一群、雨を避けて走り通る。 平八郎 さ、それではこれで挟を分つとする。みな、思ひ/\の自分に復    るのだ。おれにも漸く自分の時が恵まれるやうな気がする。    平八郎、寂しく笑つて一同を見る。                       ――(幕)――





















陥溺
(かんでき)
窮地に陥る
こと



至理
もっともな
道理














歔欷
(きょき)
すすり泣くこと
 


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