Я[大塩の乱 資料館]Я
2014.9.12

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「大塩の乱関係論文集」目次


「大塩平八郎」
その47

真山青果(1878-1948)

『真山青果全集 第4巻』 大日本雄弁会講談社 1941 収録

◇禁転載◇

第五幕 その四  (1)

管理人註
  

  同日の暮六ツ時(午後六時頃)。   場所は北船場なる八軒屋の附近。    空模様暗澹として低く曇り、今にも一雨来らんとす。河岸の土蔵は    焼け落ちて、白き煙を立て居り、近きほとりの火災は鎮まりたれど    も、遠方の火は炎々として燃えひろがり、その火勢は暗き空を焼き、    河水にうつりて凄まじき光景をなす。    伝馬船一艘、半ば苫を覆ひたるが、岸近く漂ふ。船頭直吉、棹をも    ちて立つ。積み重ねたる雑具のなかに、二三人潜みゐる姿見ゆる。    堤上には附近の避難者六七名、火事を眺めて立つ。    堤上には焼け残りの柳の樹。時々遠く羅災者の遁げまどふ騒音聞え    来る。    やゝありて避難者等は荷物を担ぎて、トボ/\と去る。水禽、けたゝ    ましく鳴く。 直 吉 旦那がた、船を何処へ着けます。    船頭、暗き苫の方を見て不平さうに問ふ。船中に潜むは、大塩父子    を初め瀬田、橋本、渡辺、白井、庄司その他にて、都合十四人なり。    暗きなかより、瀬田済之助と思はるゝ声聞ゆ。 瀬 田 何処でもいゝ。お前の好きな方へ漕いでくれ。 直 吉 八ツ時から今迄、同じ川筋を何べん上げ下げしてゐるか知れませ    ぬ。おらも家元が心配だ。何処なら何処とはツきり云つて下されよ。 渡 辺 (苫の中より)酒手は幾らでも出す。早く漕げ/\。 直 吉 金はさつき二両貰つた。金で申すぢやござらぬ。日が暮れると宿    も気になるし、却つて人に怪しまれるだ。どうか、行く先を決めて    下さいよ。 瀬 田 (声)えゝ、漕がないか。ぶツた切るぞ!    船頭、恐れて船を漕ぎ出さんとする。 格之助 待て、船頭。(声をかけて姿を顕はす)こゝで下りよう。    格之助、先に立ちて一同船を下りる。何れも手にせる錬砲武器の類    を河中に投入する。最後に平八郎、忠兵衛と共に船を出て来る。一    同の中には淡路町の敗走後に、着衣を改めたる者もあり。 瀬 田 船頭、今日のこの模様を人に語ると、必ず仇をするぞ。 直 吉 へえ、承知して居ります。    船頭、船を漕ぎ去る。(蛇目まはしを利用す)      くづ 平八郎 (頽るゝやうに捨石に腰掛けつゝ)橋本、君はわしの真意を知つ    てくれる筈だ。おれは決して卑怯にお前に遁げてくれと頼むのでは    ない。 忠兵衛 (暗涙を浮べて遠くを眺めつゝ)分つてる、分つてる。それはも    う……云はないがいゝ。 平八郎 然うではない。おれはこの上、お前に頼みたいことがあるのだ。 忠兵衛 兎にかく、わしは厭やだ。此の場に望んで、同志を見棄てて、自    分ひとり遁れようとは思はない。 平八郎 (泣くやうな声にて)橋本――! 忠兵衛 先生! おれの方ではお前さまの前途が気になつて、それを見届    けないうちは……離れられないのだ。先生、お前さまはまさかの時    に……おれが居なくてはならない人だ。おれは、それが心配だ。離    れるのは厭やだ/\。    忠兵衛、やゝ声立てゝ泣く。平八郎、俯向いて涙含む。    この時、避難民の一行通り過ぐ。一同、立ち重りて平八郎を囲む。    庄司一人は、次第に重り来る負傷部の疼痛に耐へず、柳の木の下に    倒れて呻きゐたりしが、唸り声漸次に高く苦しげなり。避難民等は    一同に心付かず、走り去る。                         さつき        こうぢいくさ 平八郎 (俯向ける同じ姿勢にて、卒然語り出す)先刻淡路町の小路軍に、    奉行方から打ちかけて来た鉄砲の勢は知れてゐる。強ひて喰ひ止め    ようと思へば、或はわれ/\の勝利になつたかも知れない。それを    おれが指揮して諸君に退去させたのは、味方と思つた民衆もわが味    方でなく、たゞ悪人奸商を焼くとのみ考へた業火が、善も悪も共に    焼き……百姓人足はみな散り/゛\にわれ等を棄てゝ遁げてゆく、    それ等の事実に勇気を沮喪したものと、諸君は思ふであらう。無い    とは云はない、確かにその失望はおれのこゝろにあつた。然し、あ    の時おれには、そのほかにも理由が一つあつた。正直にそれを、諸    兄諸君の前に告白して置かなければならないと思ふ。    平八郎、苦しげに言葉をきる。一同、黙然として聞く。

   


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