Я[大塩の乱 資料館]Я
2003.3.7

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大塩の乱関係論文集目次


「未遂既遂の米騒動」

その1

三田村鳶魚

『お江戸の話』雄山閣出版 1924 所収

◇禁転載◇


 夜毎に聞く大日本帝国の首府における物凄しき鯨波(とき)の声は、朝野の政治家に猛省を与える声である。当局者の責任をのみ窮極して已むべきものでない、総ての政治家、苟も自ら君国の事を以て任とする人々を悉して、警悟して了らざれば歇(や)まざる音響である。外患頻到の幕府時代より本邦政治家の心目は 久しく内治から遠(とほざ)かつた、西郷南洲の征韓論は頗る上下に唱和されて、大に政機転換を策せられんとしたのが、善用の方であつたにもせよ、後来は悪用して、時々の内閣が自己の運数を転換せんが為めに、屡々(しば\゛/)外交問題を云為(うんゐ)したことも尠くない。

明治の御代より五十余年の間、在朝在野となく誰か善く民政に尽瘁した政治家がある、勲業の録せられ、事功の知られたる、外務・軍務の外に幾人をか算(かぞ)へん、胸間を飾る綬佩の鮮なる、孑身(げつしん)を賑はす声誉の大なる、彼を捨てゝ此を取るの心中に、争(いか)てか労多く事繁く、十年二十年を以て僅かに功績の顕を得べきを思はんや、収穫を五月の後に待つ禾稲(くわたう)を植えるよりも、夾月(げふげつ)にして繭を得る飼蠶者の速なるを喜ぶ。

然れども一般の農家は、繭の為めに米を忘るゝ者なし、軍事外交に横惑されて済民の業を忘るゝ政治家は、彼の田間の(さうふ)に恥ぢざるなきか。皇祖の建国肇業は全く黎民の故なり、前王後王専ら斯民(このたみ)を治むる事としたまへり。億兆の奉戴して、聖恩に甘なひ申せるも畏し。

従来膚浅なる読書人の書紀は文勝ち、古事記は質勝つなど、辞句の末に拘る机の上の見解は、安民長人の盛慮を仰ぎて、舎人親玉の撰び成されたる国典の謂を弁へ得べきにあらず、只善く読む者の先王に感泣し奉り、臣道の励むべきを諒せんと、曾て之を先師南村先生に聞く。我等と雖も、熟々(つら\/)今王は先聖に継ぎ賜ひて、万世に変らざるを知る、斯くて俄に往事を説かうとするのは何の意ぞ、敢て、時々の当局者が如何に王事に勤勉したかを験し、今の内閣諸公と労逸を比較したいのである。


「未遂既遂の米騒動」目次/その2

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