林 良斎 名は久中、字は子虚、良斎は其の号である。又別に自明軒とも
号した。讃岐国多度津の人、文化五年(1808)に生れた。其の祖先は世々藩
の家老であつたから、彼も初めから、彼も初めは藩主に仕へたが、多病にし
て奉仕に耐へず、其の職を辞して、堀江の弘浜の原に私塾を開き、弘浜書院
と名づけ、多くの子弟に陽明学を教授し、嘉永二年(1849)に歿した。生前
に親しく交つたのは吉村秋陽・春日潜菴・池田草菴等である。著書にはたゞ
一巻の「自明軒文鈔」が遺つて居るのみである。彼が春日潜菴に与へたる手
紙の一節に、「聖人の聖人たる所以のもの、無我なるのみ。而して吾人の独
知一点、天機の自然、人力得て与からず、則ちもと無我なり、其の我あるも
の、乃ち意欲のみ、今意をして消せしめんと欲し、其の本無の天を復せんと
欲するは他なし。其の独りを慎むにあるのみ、書を読み、義を求むること、
亦廃すべかずと雖も、苟くも独の以てこれに主たるなくんば、則ち玩物喪志
たらざるもの幾んど希なり。」と云ひ、吉村秋陽に与へたる書中にも、「聖
人の学、無我を以て的となし、慎独を以て功となす。」と言つて居る。其の
思想の一端を窺ふに足るものである。
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