Я[大塩の乱 資料館]Я
2016.11.29

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「大塩の乱関係論文集」目次


『日本倫理学史』(抄)その10

三浦藤作 中興館 1943

◇禁転載◇

第三篇 近世  第四章 徳川時代の諸学派
  第二 陽明学派
   第七節 中斎門下の陽明学者(1)
管理人註
  

 大塩中斎の門人には、宇津木静区・林良斎・大塩格之助・松浦誠之・湯川 幹・松本乾知・但馬守約・白井履・橋本貞・磯失信・岡本維純・渡辺漸・分 部復・志村善継・大井正一郎・疋田竹翁・秋田精蔵・山口平吉・渡辺重左衛 門・瀬田犀之助・小泉延次郎・橋本忠兵衛・橋本梶五郎・田能村直入・田結 荘千里・分部簡斎等の人々があつた。中にも異彩を放つたのは宇津木静区で ある。  宇津木静区 名は靖、字は共甫、通称は矩之丞、静区は其の号である。文 化六年(1809)彦根に生れた。詩人として著名なる岡本黄石の実兄である。 十七歳の時京都に出で、頼山陽・中島棕隠に就て学んだが、大塩中斎が陽明 学を大阪に唱ふるに及び、中斎を訪ねて其説を聴き、其の見識に服し、入門 して弟子の礼を執つた。中斎も亦彼の人となりを称し、弟子扱ひをせず、朋 友として交つた。洗心洞に居ること数箇月、去つて中国及び九州を歴遊し、 長崎に留つて生徒を教授した。八箇月程を経て郷里に帰省せんとして大阪に 来た。恰かも其の時中斎は乱を起さんとしつゝあつた。中斎は静区に密謀を 告げて加盟を促した。静区は中斎を諫め、其の挙の非なることを痛論したが、 中斎は容易にこれを聞き入れなかつた。翌朝静区は事の顛末を認めた遺書を 僕の友蔵に託して、郷里の父母に送らんとして居る所へ、大井正一郎等の壮 士が刀を提げて乱入した。静区は従容として死に就いた。時に年二十九であ つた。著書には「浪迹小草」と云ふ詩集が一巻あるのみで、学説として伝ふ べきものはない。



井上哲次郎
「大塩中斎」
その31

幸田成友
『大塩平八郎』
その91
















原口令成
「宇津木矩之丞
臨終の実況


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