Я[大塩の乱 資料館]Я
2001.12.3

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大塩の乱関係論文集目次


「大坂城定番付与力と大坂町奉行付与力との基本的相違点について」

村 上 義 光 (1916−1992)

『郵政考古紀要 第13号』1988.6 より転載

◇禁転載◇

(一)はじめに

 与力と言うと、室町、戦国時代の諸大名部将などに属する武士を指す寄騎や、加勢する、助力するとの語意よりも、先ず想起されるのは大塩の乱で有名な、大坂東町奉行付与力であった大塩平八郎や、テレビ人気番組の北町奉行遠山金四郎配下の十手を帯び、江戸の庶民に君臨する与力等が、想起される場合が多い様であるが、本稿では江戸時代大坂における定番付(城番とも)与力等(以後、城付与力と呼ぶ)と大坂両町奉行付与力(以後、町方与力と呼ぶ)について、概論的ではあるが、其の相違点を明確にしたい。

 城付与力と町方与力は、出自も格式も職務も大きな差異があり、その認識の上での与力の説明でなければならぬが、往々にして大塩の乱研究や、大坂の近世史等の論稿の中に、簡単に城付与力と町方与力を混同、又は同一視している向きが散見される、これは同一視すべきものでなく、其の基本的な相違点を認識の上での論稿でなければならぬのは言うまでもない。その為には多少繁雑になるが、資料をあげ大坂城代・定番・加番と、大坂町奉行の職務の概略を記し、次で城付与力と町方与力の相違点等を概説したい。


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「大坂城定番付与力と大坂町奉行付与力との基本的相違点について」
目次/その2

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