Я[大塩の乱 資料館]Я
2010.4.29

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「大塩中斎を憶ふ」その1

中野正剛(1886−1942)

『現実を直視して』善文社 1921 より

◇禁転載◇

 時事日を非にして大塩中斎を憶ふ。全国各地の米穀騒動は、漸く危険なる風潮を伴ひ来りて、啻に天保八年大阪の変を想見せしむるのみに止まらざるなり。今日此時天下に一人の大塩なきか。吾人は乱徒としての平八郎を慕ふに非ず、誠意一徹、死を以て所信を貫くの中斎を仰ぐのみ。

 叛乱を企つるは尋常事に非ず、可否を論ずるは愚の極なり、されど乱を成して猶ほ同胞の救済主たる者あり、賊と為りて猶ほ国家の守護神たる者あり、大塩中斎の如き、西都南洲の如き即ち是なり。世人は彼等が憐むべき動機を諒するのみならず、実に其叛逆の行為をも神聖視するに至る。是に於てか聊か血性ある者が、近世史上に中斎と南洲とを得て、大に之を快とするは所以なきに非らず。彼の国法に違ひ、秩序を紊乱せるの行為は、真に忌むべし。然れども是れ単に国法の下に在る者が、国法に準拠して、或は乱臣となし、或は賊子となすのみ。是に深く信じ、篤く行はんとする者あり、自ら国法以上に瓢逸して、道義の天上界に居り、国法に反抗し、国法に処罰せらるゝを分とせば、何者か之を罪すんを得ん。其肉体は裂くべし、其生命は奪ふべし、然れども斃れて休まざるの所信は、遂に刀鋸鼎を以てするも之を脅やかす能はず。真に或る時代の幣習は、到底合法の手段によりて救済する能はざることあり、此等の時に際し、妖霧を排除して、世の進運を開拓するは、実に此等国法の賊たる豪傑の上に待つこと多し。現に我維新の志士は、旧幕府国法の賊にして、新政府国法の建設者たり。

 彼の元勲と称せらるゝ者、皆此亜流に属せざるはなし。十八世紀の欧州哲学者は、夙に此意義を学術的に叙述して、所謂『革命の自由』なる説をなせり。其大要に曰く、国法は尊重すべし、国法下に在る人民は、国法の羇束を受けざる可らず、然れども国法は人の作りしものにして、其国法を運用する者も亦人なり。故に国法必ずしも人民の実生活に適せざることあり、国法を運用する者、必ずしも立法の真意義に副はざることあり。乃ち幣害百出して、法を改め、法を執るの人を代へざれば、国家人民の幸福を蹂躙せらるゝことなしとせず。

 此時に当り合法の手段によりて法の改変を企て、法を執るの人を更迭せしむることあり、之を称して改革(reformation)と謂ふ。此改革を順調に行ひて、毫も停滞するなからんか、邦人は常に安泰に、国民は常に幸福なり。然るに或る場合には、法を執るの人私意に囚はれ、横柄を用ひ、国民をして合法的改革を成さしめざることあり、一日現制度を維持せんか、一日人民の災禍を増すの勢を呈せば奈何。

 此時に当りては、人によりて作られたる国法に服せざる他の人が、慨然として決起し、其国法を認めず、其国法を執るの人を認めず、合法以外の手段によりて、国法の改変を企つるは、当然の勢なり。乃はち斯の如き国法以外の改革を称して革命(revolution)と謂ふ。国法は固より革命を承認せず、後に革命家は国法の眼より見て、乱臣賊子なり。然れども政治哲学は『革命の哲学』なるものを承認す。此自由の犠牲者は、実に革命の志士なり、殉難の豪傑なりと。乃ち国家の罪人は、人道の愛児なり。


「大塩中斎を憶ふ」目次/その2

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