Я[大塩の乱 資料館]Я
2010.4.30

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「大塩中斎を憶ふ」その2

中野正剛(1886−1942)

『現実を直視して』善文社 1921 より

◇禁転載◇

 世人が中斎を壮とし、南洲を慕ふは、区々国法の小天地に跼して論を立つるに非ず、不知不識の間、国法以上に瓢逸して、道義の大天地に霊光を発する英胆毅魄に感応するを禁せざるなり。国法果して時世に適せざるか、執法の人果して人民の敵なるか。此判断をなす者は何人ぞや、是れ実に政治的見識の妙用にして、何人も定義を下して規準となすを得ず。之を解決する者は、実に自由の個人なり。我れ斯く信ず、故に斯く断行すと、是れ実に革命家の心事なり。而して斯く信ずるに至るまで、演繹的に推理するあり、帰納的に結論するあり、其の研究の精疏、其の眼識の高低、其の動機の純濁は、実に革命家をして英雄たらしむるか、市井の勇夫たらしむるかを決する標準なり。大塩中斎は果して如何の人なりしか、革命的暴動を企つるに至るまで、其の研究は果して精なりしか、其眼識は果して高かりしか、其動機は果して純なりしか、是れ実に是非の議の別るゝ所なり。中斎嘗て洗心洞中に学を講じて曰く、

と。大塩中斎が単に市井の勇夫を以て志とせず、仁を全うせんが為に、智を極めて手段を尽すの緊 要なるを認めしこと、以て看るべきなり。又曰く、

 看るべし、中斎は市井の勇夫たるに甘んぜざるのみならず、尋常の迂儒たるを屑しとせず、理気を合一せしめて、驀地に聖賢の域に突進せんとするの勇猛心を抱きしを。是れ吾人が時事日に非にして、人心日に浮薄なるの今日、別して中斎を憶ふ所以なり。見よ今の時に於て理を究めんとするの学者は是れあり、然れども彼等は理の為に理を究むるのみ、毫も天地を貫く大至誠なし、随て終始一貫せる志なるものなし。乃ち志専一ならざるが故に気を養ふこと能はず、気熾んならざるが故に理義の学も根本に徹底せず、理を談ずれば則ち口頭の理となり、義を説けば則ち筆端の義に止まるのみ。

 又看よ今の時に於て、市井の勇夫は乏しからず、然れども彼れ等は単に血気の為に動かさるゝのみ。毫も志の帥たるべき理義の究明に工夫を用ひず、乃はち理義なき志は漸くにして専らなる能はず、志専らならざるが故に気も亦餓ゑ、遂に碌々たる窮措大となり終るのみ。彼の自由権論の勃興以後、所在に革命的活劇を演じたる壮士的政客が、今日窮すに及びて、権力者の走狗となるに至りし者、比々として之が適例ならざるはなし。


*1 山田準訳註『洗心洞箚記』その68
*2 山田準訳註『洗心洞箚記』その17


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