中瀬寿一
『大塩研究 第15号』1983.4 より転載
こうした源兵衛の悪戦苦闘ののち、やがて迎えた一八四九(嘉永二)年は、ちょうど三井が一族をあげて先祖の地=伊勢松坂に引きこもろうというほどの提案がおこなわれたところの、大塩事件以降の〃家政改革〃史上注目すべき年であったが、泉屋住友にとっても同じく〃家政改革〃史上まことに画期的な年となり、源兵衛の改革意見書が部分的に実行にうつされ、源兵衛自身も再び老分日勤を命ぜられ〃家政改革〃を委任される年となっていくのである(つづきは、別稿参照)。
〈追記〉なお本稿は八一年秋の経営史学会大会報告に実証的史料を入れ、同年末に寄稿したもので、種々御教示をえた西尾治郎平氏はじめ、作道洋太郎・橘博・安藤重雄教授らに厚くお礼を申しあげたい。(大阪産業大学)