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是れより先き、大塩父子は、靭油掛町の染物商見吉屋五郎兵衛の土蔵中
其一隅に潜伏し、此の方二三間の倉庫を獅子の天地として、之れに潜む
こと期月余、偶々一下婢の疑惑より事終に露はれて、捕吏向ふ、平八郎、
乃ち予め備へ置ける硝薬に火を放ちて屠服す、捕吏闖入すれば、硝煙四
面を蔽ふて殆んど咫尺を弁ぜず、既にして漸く之を捕ふれば、父子、既
に自刃を遂げて鬼籍に入る、大塩父子の迅速手際、其捕吏の遺憾亦想ふ
べし、時に天保八年三月廿六日、平八郎享年四十有四、格之助二十有五、
実に平八郎の如き、仁心変じて狂暴と為る、而かも其脳中一片の活火気
骨の存する所あるを見るべし、其挙、暴と雖ども、彼の由井正雪の挙
と日を同うして語るべからざるものあり、即ち幕吏の無状万民の飢
餓を傍観して救はさるもの、平八郎を、激して事終に茲に至らしめ
たるものなり、亦其状情憫諒すべきものあり、
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咫尺(しせき)
視界がきかず、
ごく近い距離で
も見分けがつか
ない
憫諒(びんりょう)
あわれみ思いや
ること
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