は ゝ わたくし
養母は如何にも恥かし気に復堂に向ひ「此老僧を、毎年頼むことに、昔し
からなつて居るのは外でもありませぬ、吹田の神主で大塩の叔父で大塩の
旗上げが、反り忠のあつた為め、一日早くなつたにより、大塩と一処に乱
暴は致しませなんだが、連判の中に名があるので、捕り方に囲まれ、自分
の玄関で立ち腹を切つた、宮脇志摩に此老僧は書物を教はつた事もあるの
ことさら
で、度々宮脇に連れられて、大塩を見た事のある御方故、特更御回向を、
此老僧に頼むことになつて居るのです」と養母の説明により、老僧は一膝
進み出で「恐くは此近辺で大塩の顔を見覚へて居るものは、馬場村の土肥
こうかう きづゝ
と、拙僧の二人で」と之れより真偽混淆の噂話、大塩の人格を傷けんとす
る幕吏の捏造説、捨札以上の酷評を、下しましたから、励声一番「黙れ老
僧」を口開らきとして、大塩当時の天下の大勢、大塩叛乱の動機、大塩の
すべ
人格、大塩の学風等滔々として陳べ聞かせました処、老僧は上座を退り
「誠に御主人に御気障りを申上げ、何分にも七十以上の老人、耄碌仕り居
は ゝ とりなし
りまする、真平御免を願ひます」と漸やく養母の和解で其場を静めました、
後日此老僧が会ふ人毎に「大塩に因縁のある家へは、矢張り大塩見たよう
わい ござ
な人間が来る哩」と申し居つたさうで厶ります。復堂を大塩に比較しては、
大塩が実に気の毒で厶ります、之れより右老僧の物語り中にあつた、馬場
こと
村の土肥に就いて、復堂が聞き込みました大塩談、特に同人が捕方となつ
て、大塩捕縛の為め、大塩が居りもせぬ天王寺へ向ひまする御話等、申上
げたら面白いが、時間に限りが厶ります、先づ今席は之れで、
|