Я[大塩の乱 資料館]Я
1999.9.4
2001.3.19修正

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大塩の乱関係史料集目次


「野 里 口 伝」

『改定 史籍集覧 第16冊 』(近藤瓶城編) 1902 より


◇禁転載◇

■は原文では□、欠字と思われます。
句読点は適宜いれています。
*1〜5は。図1、2に位置を示しています。
図は聞取りなので必ずしも正確ではありません。
もとの図に文字部分のみ変えています。

図1

図2

天保八年十二月、大坂町年寄野里四郎左衛門、将軍宣下御代替為、御祝儀可申上出府、 本銀町原口屋某(兵八)方に致滞留居候に付、同月十三日呼寄せ、件之始末深更まて承り候、物語之條々左之通

一 御宮 *1、北向八幡宮え御立退之御道筋

一 御宮より、天満橋南え、天満橋御渡り、谷町筋南え、真すく生玉鳥居より   
  西え、北向八幡宮御社之傍に兼て御立退之御場所 *2 有之凡三拾五六町程有
   之申候

一 平山助次郎返忠いたし、山城守様へ訴出候ハ、十八日の夜半に御座候

一 平八郎之叔父、大西与五郎に被申付、平八郎宅 *3 へ罷越、様子見届候様被
   申付候処、気味わるく存候哉、同人ハ不参忰■■■を遣見せ候処、一向何や
   らたヾならざる様子故、のがれぬ事と思ひ親子とも出奔いたし申候、其後、
   摂州有馬の湯治場にて、御代官様根本善太夫の手にて被召捕申候事

一 此夜御奉行所に詰居候一味両人之者、被召捕へく山城守様側へ被呼被問詰申
   開無之、小泉淵次郎ハ迯出しなから脇差を抜候故、四五人に而詰所へ追詰被
   打果候、瀬田済之助ハ、無刀はたしにて、庭より稲荷の脇の屏ひくき所より
   乗越迯出し、平八郎へ様子しらせ候処、是迄の手筈相違に付、にはかにさわ
   き立候哉之事

一 此頃公儀より御救米を割渡有之候而、其米減米に御座候而不足故、十九日に
   ハ右之不足分を又々御渡しに相成候日故、私も右之御用にて罷出可申心得に
   て、髪月代に取懸り月代を不残すりしまひ、いまた髪をそろへ不申時分に、
   御役所より使参り急之御召に御座候、早々参り候様申、いきせき返り候、間
   もなく又々ロ上書にて不容易儀有之候間、急き参り候様御申越故何さま大変
   之事有之儀と存、いまたそろへ候ハぬ髪を油も不付其まヽたはね、直に道之
   程近き故御城之東町をはすにかけ通り、御役所中の口に参候処、常ハ御直に
   申上候儀なとハ余り無之候処、直に参り候様申候間、御用談之間へ罷越候処、
   山城守様にハ火事羽織をめされ、御立被成候、其以前、炉之間と申所へ参候
   処、のり其辺に、ぽとぽととこほれ有之候得共、其節ハ何やら気も付不申、
   罷出候処、山城守様仰に、平八郎何か容易ならさる企いたし候趣、返忠之者
   有之間、一味之両人、今晩詰合之者、可召捕所、済之助ハ迯失せ淵次郎ハ只
   今打はたさせ申候、平八郎之敵味方、企之次弟、何共相分らす候間、其方乍
   太儀、平八郎宅へ罷越見届来り可申被仰付候事

一 元来山城守様御実家、水野越前守御在所唐津以来、私儀御出入申上候に付、
   今日ほとの事も格別御懇意之所より、御呼入被仰付候儀、御座候哉之事

一 御前を下り、炉之間へ罷出候処、扨ハ只今御咄之被打果候のりよと存候処、
   最早ぶるぶるとふるへ出申候、乍然一刀にてハ心ほそく存候間、御家老衆へ
   申立、刀を自分家来を宅へ差遣、火事羽織と太刀こしらへの刀をとらせ追付
   申候様申付、直にかけいたし候事

一 淀川に付候て下り候得ハ、与力町に御座候

一 平八郎門ハ閉て有之、平八郎門と筋違に相成候朝岡助之進 *3 之門、是も閉
   有之候、右之門三尺ほと引こみ居候処に身をかヽめ、屏之隠より平八郎方之
   様子伺ひ居候処、合図と見え、三つほと打上申候、打候と鯨波之声を上申候
   跡ハ、十匁目位之音、しきりに打申候、又平八郎座敷之軒先に何やら白きも
   の立かけ有之候、あとにて思候得ハ、旗と被存候、其中台所之方よりぶつぶ
   つともへ上り申候、やかて庭先之屏を内よりくづす■十人程、百姓もまじり、
   刀を提たる者も相見え、助之進之屏を外よりこはし、皆平八郎方へ引とり、
   棒火矢を其くつしたる所より、助之進方へ打込、其跡より鎗長刀を持たる者
   共、助之進方へこみ入申候、其節只今迄隠様子伺居候処を立退、平八郎之隣、
   工藤万太郎 *5 と申者のうら口締りはつし有之哉あき候に付、台所より奥之
   方へ参り見候に、皆迯失候と相見え、一人も居不申、其座敷少々かたつけた
   る様子にて、畳をつみ重ね有之故、先其上にて一息つき、隣の平八郎方を見
   候に、何やら甲冑を着たる者、あちこちかけまはる様子故、夫より立帰り、
   御役所御玄開より草鞋かけにて飛込、委細申上候処、仰にハ、其にて大概様
   子相分りたりと被仰候、其時、山城守様ハ、御腹巻の上に火事羽織をめされ
   候事

一 天満之方にも向せらるへきにて、御玄関の前に馬も引すへ有之候

一 此時いまた火事にハ不相成候へとも、何さま火事にも可相成間、火事之人寄
   半鐘を打人数を集られ候

一 其節、又々被仰付にハ、何れ之方へ向へ押来候哉相知兼候間、乍太儀、今一
   度見届来り候様被仰付、右之御咄し中最早どんどんと鉄炮之音聞え申候事

一 参り見候処、其時ハ、平八郎宅ハやけ申候、万太郎うらの薮の中へはひ入、
   向を見るに其節之人数六七十人とも見え、大筒火矢を北に向て打立、真先に
   ハ木筒を持、救民と書たるはたをたて、両方へ十匁位之かね筒、其跡より中
   に天照太神、右に東照大権現、左に湯武両聖王と書たるはた、其跡に五三の
   桐のはた、五の目に備へたる所に、平八郎も居候様子、ごちやごちやと居候
   其跡より、後陣小荷駄の備に候哉、革具を担たる者多く之あり、見る中に西
   へ向ひ参り候故夫より立帰り候事

一 帰り候途中、桑原信太郎辺にて、渡辺良左衛門に行逢申候、具足を着、威毛
   ハ覚え不申、槍を持面色など黄色に見え申候、ひよろひよろいたし候様なる
   体にて行違ひ候得共、私目に見え不申候哉通過申候

一 又途中にて棒火矢一本捨あり候、是ハ印に取返り御覧に入候事

一 何さま天満のかたへ向ひ候様子申上候処、仰にハ、難波橋をかため可申よし
   にて、其時人数かれこれ町火消の人足とも三百人計も御座候、私とも大将分
   にて引つれ参候処、難波橋辺にて、大筒を此方に向ひ、車につみ、橋の上を
   引参り候其音、くわらくわらとおひたゝしくおそろしく聞え候に付、打驚き、
   わつと声立、私初ことことく横町へ迯出し申候

一 其節のび上り見候処、大筒車の後ろに、鳥居の如くなる木をたて、大筒を上
   へおこしさけ自由になり候様に相見え候

一 此時ハ大塩の方も東西二つに分れて打立、隊伍ハ乱れ候様子、どろどろと難
   波橋を渡り来り鴻之池へ打込候、平八郎ハそれと相分り不申候得共、金の
   くわ形の冑なとゝ申候ハ跡にて見候得ハ、志んちうにて候、平八郎具足ハ、
   とうせゐ小さね、跡ハ碁石山路なとにて至て疎具足に有之候、思案橋へおし
   来る時分、御奉行人数出合、淡路町にて鉄炮打合御座候、其節、町の木戸柱
   のねにかくれ、休みなから、玉をこみかへ、かるかを遣ひ候尻見え候を、玉造同心ねらひ打とめ候、夫より先方四度路になり次第に迯失せ申候

一 此時火口七ツほとに相成候

一 平八郎方ハ、具足なとぬき捨迯失候間、拾ひ取、先近辺の井戸へ打込置候、
   かつぐ者なとハ、やたら迯る者をつかまへかつかせ申候

一 今橋より平八郎船にのり候様子、野崎川を上り、穢多村に頼み候得共、置不
   申故小船にて三吉屋へ行申候

一 三吉屋表ハ店にて、裏に土蔵三とまゐ有之、其間にハ八畳敷程の座敷にかく
   まひ置候、此所路次せまき故、召捕人数、急に入られす、わやわやとさわき
   ゐる中、火をかけ申候故、こはし死体等引出し申候         

一 其頃、三吉屋の下女■■と申者、女房一人にて七ツ時分、何やらこそこそと
   いたす様子を怪しく存し、暇を願出候所、ゆるし不申故、病気と申二階に寝
   居、夫より迯出し申候て、宿へ返り、両親へはなし候処、聞捨に相成かたく、
   庄屋へ参り、庄屋、御城代土井大炊頭様御陣屋へ訴出申候、下女宿、河州平
   野郷の由

一 平八郎、格之助さし違ひ候覚悟と見え、格之助下にうつふせになり、平八郎
   其上にのつかヽり有之候、のどの辺、三刀ほと突たるあと見え申候

一 近所の医者の駕籠にて、町口の会所に御奉行被居候処へおくり、銘々の鑑定
   被申付候、其後塩つけにいたし申候、凡十六ほと塩漬有之候、桶の底に穴を
   明け、したヽりをぬき、下をみその様に堀置申候、名もなき者共ハ、二三人
   も一所に塩つけいたし候も御座候

一 庄司儀左衛門を尋候節、私も隠密御用にて参申候、此度隠密御用に付罷出候
   間、先々申出次第早速人数可被差出候様之御證文頂戴いたし参り候、儀左衛
   門を奈良より跡を付、長谷より伊賀へかかり候節、藤堂の御人数通し不申故、
   御證文を見せ候処、其儀ならハ通し遣し可申よし申候、其節承り候得ハ、
   昨日伊賀越いたし候由申候、腰に帳面をさけ、白き脚半にて商人の買出しに
   参候体のよし申候

一 先々如何様の村方にても、平八郎参候ハヾとらまへるなどヽりきみきつてお
   る故、五畿内ハ実に蟻のはふ処無之様に候

一 済之介ハ若(ママ)より首をくヽり死し申候 

一 東照宮御宮ハ、御別條無之、御別当■■■を打候故、御別当御供申、御立退
   御座候、御先追之声厳重にて、御跡より御別当くヽり、頭巾にて装束いたし
   ぶるぶるふるへなから警固致参り申候
  

  一 御宮御別当
       建■寺
 一 北向八幡之社之傍に玉垣方八九間斗り
     其中に神輿台石にて畳有之別当無之生玉神主  
                松下陸奥守

一 堀伊賀守様の御後ロより、味方鉄砲打候故、御馬驚き御落馬有之候 一 私父親八十二に相成候、駕籠にて先へ天王寺まて遣し候、母ハ七十三に御座 候間、駕籠も無之間、具足にて長刀をつき背負参候処、足腰いたみ候とて背 中にて泣候、具足のゑりより涙流れこみふき候事も不成難儀致し候、母も永 いきをしてケ様の日に逢と申候 一 淡路町にて打合の時ハ、誠に鼻先に覚え候も、跡にて、先方ハ此処、此方ハ此 処と、考へ見れハ、五間十間と思ひたるも、二町計も隔り有之候 一 十匁筒なと持候者ハ、朝から夕まてかつひたる計にて仕舞候、大小なとハかり 物をいたしたる様に覚え申候 一 大塩、書籍を売て施行致候と申なから、其にハ不似合にて、跡にて調へ有之候 処、所々に百両弐百両も借財、多分有之候由、右金子にて武器にても調へ候哉 一 私宅ハ、幸に焼不申候                              阿部正信蔵書 天保九年正月六日夜、借阿部公本写得          九々翁諭丈   明治三十五年十月、屋代弘賢翁の輪池叢書を以て再校了



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