『まんだ33号』1988.3 より
分家の西田家は青太夫主税の惣領千之丞正頼を初代とし今日迄繁栄している。千之丞正頼が作成した『由緒書』によれば
「私儀同組与力西田主税忰ニ而天保十亥年三 月十九日跡部能登守組与力見習勤申渡(中略)同年(弘化三年)五月廿四日水野若狭守組之節父主税貞実相勤候依而同組与力明跡江別規御抱入被仰付」「祖父父私遠慮逼塞閉門等都而御咎之儀無御座候、弘化四未」とある。
父青太夫が格之助の実兄でありながら西田家は厳然と存在し続けるのみか、あまつさえ事件の十年後には新しく与力の家を創立して二軒となり繁栄しているのである。大塩の乱で東組の与力は大塩、瀬田、小泉、大西の四軒が欠けた時は、八田、磯矢、丹羽、荻野の与力衆が各々分家を創立しているが、このタイミングでは西田家に適齢の男子がいないのと事件の熱がさめていないこともあって分家を創立できなかったのは判る。しかしそれに続いて浅羽、田中、阿部(いずれも東組)が断絶し新しく与力の家を創設するチャンスが訪れており十年後には西田家からの分家創立が実現したのだ。形を変えた事実上の大塩家の再興などと評価するのはあまりにも行き過ぎた解釈であるが、しかし平八郎の起した事
件についての評価は早い時期に好転したとはいえないまでも、何らかの変化があったと推理できる。与力衆の家は東西各々三十軒で計六十軒の枠組が幕末まで厳格に守られており、新家の創立は必ず既存の与力衆の中から分家する方式となっている。既得権がこのような守られ方をしている場合は、どのような法理で説明すればよいのだろう。
分家の西田家の二代目は千之丞正頼の養子千一郎が早世したこともあって弟寿三郎の子瀧之助(後、瀧三郎、弁護士)が二代目となり、瀧三郎に実子が無かったので姉(西田寿三郎の娘)中村ひで(夫、中村包悌)の子三郎を養子にし三代目を継がせた。現在、守口市に御健在の西田はつさんは三代目西田三郎の妻である。四代目捨次郎さんも養子であったがその妻きぬ子さんは西田はつさんの実妹でもある。このように分家の方は家系を伝えているが本家の西田家は十一代竹三郎を最後に男系が断絶している。寿三郎の墓は浜村の鬼子母神(現在は高槻市原)にある。娘が庵主をしていた縁による。
分家の西田家文書は明治以降の金銭関係分を除いてはわずか十五点を数えるに過ぎない。
大塩事件の背景研究に有益なのは『由緒書』(タテニ三・三センチ、ヨコ十六・五センチ、全九丁、弘化四未歳作成)、『親類書』(タテ二七センチ、ヨコ八五センチ、元治元子歳作成)、『短柵』(タテ二七・五センチ、ヨコ七・五センチ、明治四年及ぴ五年に作成し明治新政府に提出したもの二点)、『宗旨請状
之事』(タテ二八・五センチ、ヨコ四三センチ、元治元年九月作成分及ぴほぼ同寸で安政三年九月作成分の二点)、同じく冊子の『宗旨請状之事』(タテニ五センチ、ヨコ十七・五センチ、全戸三丁)、『戸籍騰本』(明治参拾壱年九月五日発行)、『西田家過去帳』(仮題、タテ三三センチ、ヨコ十五センチ、木製漆塗
表紙、折本)等であろう。それらを原本に則して忠実に翻刻していは紙数も不足し冗長になるので次のような『西田家歴世表』に総括してそれに代える。
(大塩事件研究会々員)
歴世 | 本名 | 通称名等 | 出生 | 見習 | 番代 | 退番 | 死亡 | 戒名 | 妻 | 実父 | 実母 |
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1 | 伊兵衛 | 寛永3寅3月 | 寛文元丑5月 | 寛文11亥4月5日 | |||||||
2 | 清兵衛 | 寛文元丑 | 元禄5申2月 | 元禄9子7月2日 | |||||||
3 | 郷右衛門 | 元禄5申2月 | 元禄9子3月 | 元禄9子3月25日 | |||||||
4 | 清太夫 | 元禄9子5月 | 享保21辰2月 | 元文5申9月19日 | 芳樹院宗林日敷 | 香樹院貞林日実 | |||||
5 | 次郎右衛門 | 享保21辰2月29日 | 宝暦8寅11月朔日 | 安永4未3月26日 | 本珠院精光日耀 | 芳種院 清太夫 | 香樹院貞林日実 | ||||
6 | 頼年 | 喜右衛門 | 寛延2巳4月2日 | 宝暦8寅11月朔日 | 天明3卯2月朔日 | 寛政7卯8月13日 | 照浄院最正坊日具 | 寂止院妙円日融 | 常光院妙精日円 | ||
7 | 安永5申3月8日 | 天明3卯2月7日 | 寛政9巳4月15日 | 文政8酉7月27日 | 演暢院宗義日実 | ||||||
8 | 文次郎 八郎右衛門 | 寛政9巳2月15日 | 寛政9巳4月15日 | 文政6未7月22日 | 文政6未7月22日 | 本地院宗遠日寿 | |||||
9 | 主税 | 青太夫 | 寛政9巳 | 文化10酉2月19日 | 文政6未9月15日 | 安政5午5月29日 62歳 | 勇智院頼次日正 | 青山伊賀守家来 森田九右衛門娘 勇猛院妙頼日行 | 演暢院 八郎右衛門 | ||
10 | 寿三郎 | 明治38巳10月27日 | 清寿院頼勝日常 | 諦聴院妙証日念 25歳 | 勇智院 青太夫主税 | 勇猛院妙頼日行 | |||||
分家 初代 | 正頼 | 千之丞 | 文政9戌9月2日 | 天保10亥3月19日 | 弘化3年5月24日 別規御抱入 | 明治10丑12月11日 | 本行院正頼日仁 | 初妻、本種院妙縁日起 後妻、ぬい(本正院) | 勇智院 青太夫主税 |