Я[大塩の乱 資料館]Я
2002.10.12

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大塩の乱関係論文集目次


「大坂町奉行与力西田家文書等について

―与力史料評価視点の転換を求めて―」

その20

大野 正義

『大塩研究 第29号』1991.3 より


禁転載

七、与力衆の資金運用 (5)

〔林家の借金証文〕

 最後に、伸田正之編『大塩平八郎建議書』に収載の江川文庫文書中の林大学頭に対する貸付金関係の証文〈写本)についても、西田家文書や八田家文書についての評価と同じ視点で見直すべきだ、というのが筆者の意見である。前書に収載の史料としでは、林家の用人島村兵助が発行し、林大学頭が裏書きした「借用金子之事」三点、および、島村兵助発行の「年賦借用金返済勘定書」三点を見受けるが、与力衆の生態を判断するうえで、これだけの史料があれば十分といえる。たとえ原資が大塩家直接のものでなく、仲田氏の解説にある通り「千両を先に大学頭に貸渡し、大学頭が無尽元となり、千両を融通した大塩門人達が勘定元(世話方)となって運営したものであろう」としても、むしろそれならばなおのこと、その頃の与力衆の金銭習慣の証明になっている。

 普段から大金を貸した経験のない者が、急に他人に大金を融通するような行為ができるものではない。多くの経験の蓄積やノウハウがあってこそ可能なのである。前書に収載の史料一「不正之無尽取調書」でも明らかなように、「御定番始川口御船手地改之向々」の不正無尽から大名衆の不正無尽まで調べ尽くしていた平八郎の金触知識は高度なものである。その知識と、林家に対する金融行動が密接につながっているのは明白である。だとすれば、経済的に恵まれでいたとされる大坂町奉行与力の収入源を考えるに際し、出役副収入にばかり着眼していては、説得力のある説明は不可能である。江川文庫文書に収載の大塩平八郎の内部告発関係の史料をみる限り、与力衆の経済状態は、公私混同や職権乱用、地位利用による不正行為等々による幅広い収入源によって支えられていたとしかいいようがない。同文庫文書に限らず、与力史料評価視点の抜本的転換を提言したい。


「大坂町奉行与力西田家文書等について」
目次/その19

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