Я[大塩の乱 資料館]Я
2000.5.8

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大塩の乱関係論文集目次


「大塩平八郎と天満展を終えて」

大塩 二郎

『大塩研究 第41号』2000.3より転載


◇禁転載◇

 大塩の乱決起の二月十九日を中心にして、二月十七日より二十一日までの五日間、大塩事件研究会主催、天神橋筋商店街の協力、沢田鉄砲隊の特別出演もあって盛况の内に無事終了することが出来た。

 短期間での準備でもあり、果してどれだけの人が集まってもらえるのか不安があったが、新聞各紙の記事や,NHKや大阪テレビでの報道の効果もあり、予想をはるかに超える多くの方が展示場へ、また座談会に、日曜日には史跡を歩く集いにと参加され、五日間で延べ千二百人を数える盛况であった。

  

座談会々場から人が溢れた

 二月十九日(土)は、イベントの目玉である「大塩の乱に参加した門弟たちの子孫による伝承の掘り起こし」をテ−マにした座談会の開催日であった。午後の開催にも係わらず、午前からどんどん人が集まり、定刻三十分前には、会場である天三会館二階の座敷は約八十名の人で超満員となったため、その後詰めかけた数十人には入場をお断りするはめになった。しかし納まらないのは入場を断られた人達。「折角遠方からきたのに帰れとは・・・凡そ平八郎の精神に反するではないか」などと詰め寄られ窮しているところへ、たまたま居合わせた鉄砲隊の沢田隊長の助太刀があり、急遽、会館前の公園のベンチに希望者十六人が車座になり、私が司会を務め、沢田隊長が臨時座長となって、お互いを紹介し合ったあと、寒空で約三十分の第二会場を持つ事となった。

 本会場での事件関係者子孫の、熱気に満ちた座談会の詳細は「大塩研究」42号で明らかにされると思うので、第二会場での話の二、三を紹介すると

 h「大塩事件が明治維新のきっかけとなったのは良いが、なぜ天満宮まで焼いたのか」

 i「大塩父子が四十日近く隠れていて、何がきっかけで見つかったのか」

 j「大塩父子を初め一族が死罪になったのに、何故ここに大塩さん(司会者である私のこと)がいるのか」

などなど矢継ぎ早の質問が相次いだ。

 座長と司会者で分かる範囲は適切に回答している内に雰囲気も和やかになってきたのでほっとし、又このような話し合いの機会を作りたいのでと言うことで、どうにか納得してもらう事が出来、展示場の方をゆっくり見て下さいと案内して事なきを得た。

  

あっと驚く鉄砲隊による大塩平八郎の乱

 特別出演、沢田鉄砲隊の一行十二名が、十九,二十日の両日、イベント会場である゛てんさんMONO−GOTO館゛前で鎧、兜に身を包み、肩には大塩平八郎始め大塩格之助、橋本忠兵衛、瀬田済之助等々の名を付け、火縄銃を手に大塩平八郎の乱を再現し、商店街は一時パンパンと花火の音やものすごい煙幕が上がり観客は大いに驚いた。最後は坂本鉉之助が大筒を打っていた梅田源左衛門を打倒し幕となった。

 又、沢田氏所有の古式大炮や古式銃、棒火矢、炮烙玉が五日間会場の中央に展示され珍しさを誘った。

  

史跡を歩く集いに老若男女約六十人が参加

 朝は雨が残り心配した天気も、昼前から青空が見え始め、スニ−カ−にリュック姿の参加者が集まり始め、イベント会場の前にセットしたビデオで放映している研究会作品の「大塩平八郎と民衆」「よみがえる大塩平八郎」のほか二本を熱心に見ながら出発を待つ姿は、皆若々しく見えた。

 商店街の端までは、演技を終えた鉄砲隊を先頭に出発し、酒井会長、井形副会長、和田委員の案内で成正寺 →連興寺→天満宮 → 川崎東照宮跡 →洗心洞跡碑 → 与力役宅門(改築中)などを二時間半に亘って歩き、無事イベント会場へ帰還した。

 尚、この期間中マップ「大塩の乱の跡をたどる」を中心に、檄文や書籍など計二百点を販売した。

  

大塩平八郎の愛刀が里帰りして槐の木と再会す

 イベント会場から南へ五分の所にある天満の老舗国重刃物店で足を止める人が多い。「大塩平八郎の愛刀」の立て札が目につく。平八郎の依頼で作られ、現在所蔵されている門真の森田氏の御好意で、刀鍛冶であった国重刃物店へ里帰りし店のショウウインドウに展示された。

 更に、朝岡助之丞邸跡に十六年前まであった槐(えんじゅ)の古木の切り株を、和泉市御在住の朝岡氏が国重刄物店中央に出品され、期せずして百六十三年振りで平八郎の愛刀と面会する事となったのは、意義深いことである。

  

インタ−ネットによる「大塩の乱資料館」

 今回の展示からインタ−ネット.ホ−ムペ−ジが初登場し、二台のパソコンを自由に操作してもらうように配置し、大塩の乱研究資料として、檄文、文献、論文、古文書や会発行の「大塩研究」、催し案内等を紹介した。

 私も論文の入力を少々お手伝いしたこともあり、開設を心待ちしていた一人である。内容もこれから追々充実していくとのことで更に楽しみである。

  

二組の大塩さん現れる

 先祖が大塩平八郎と関係があると伝え聞いていると言う方が、ご家族と共に二組来られたし、女性からの電話で「祖父が大塩家から養子に来た人で、平八郎の話をよくしておりました。」とのことでした。

 私はこれまで、偶然なのか近隣、学校、職場での六十有余年、大塩姓の人と一度も一緒になったことがなかったことから、何かどきっとするような気がした。

 また大阪市内の会社々長が、平八郎後素の直筆と鑑定されている書や、王陽明など三本の軸を持参された。大阪でもまだこのような貴重な資料が埋もれていることにこれからの発掘が期待される。

  

アンケ−トの集約

一、期間中60余名の方が回答を寄せられました。

 10才代から80才代と幅広く来られ、60才代が最も多く 次いで50才代であり、男78%、女22%の比率である。

二、催しを知ったのは、新聞が40%と最も多く、商店会誌「あるっく」は16%で、通りがかって入った人もかなりある。

三、大阪市内から来た人が殆で、他府県からの人は14%と少なかった。

四、大塩の乱展に始めて来た人が85%と常連を凌いだ

五、展示品で関心の高かった順では、古文書35%、写真23%、鉄砲類18%、書籍13%、槐の木とホ−ムペ−ジが5%であり、古文書への関心のさが伺える。

  六、「展示会を見ての感想は」の問に、少し解かった人46%、よく解かった人44%と半々だった。

 会期中に研究会への入会申込みが四名あり、外に古文書を読む会を一度覗かせてもらえないか、等の申し出も数人あった。

 

御協力へのお礼

 浅学の私が、今回のイベントの実行役を引き受けたことは、当初大変な不安でった。しかし幹部の方々の優れた企画と、準備の際や、期間中会場で客応対のボランティアを研究会各位にお願いしましたところ、委員の方の外に、読む会から凡そ十名の方々が、御多忙中にもかかわらず交代で駆けつけて頂き、ここに厚く御礼申しあげます。

 また成正寺様始め、商店会の土井年樹会長、「あるっく」の井上彰編集長、MONO−GOTO館の井勢事務局長、鉄砲隊沢田会長ほか多くの方々の力強い御協力に感謝申し上げる次第です。

 


Copyright by 大塩 二郎 Jiro Oshio reserved


   【会場風景】


  ● 玄太郎さん(HP「玄太郎の部屋」主宰)提供 ●

てんさんMONO−GOTO館

  国重刃物店


「大塩平八郎と天満 展」記録画像


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