Я[大塩の乱 資料館]Я
2014.9.19

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「大塩の乱関係論文集」目次


『二十三年未来記』
その1

柳窓外史(小柳津親雄)

今古堂書房  1883

◇禁転載◇

序 (1)

管理人註
  

耶蘇教祖が猶太人の手に捕はれ、ガルブァリヨ山に於て、盗賊と共に磔刑 に処せられしときに当りては、当時、猶太人は、該宗教の終に弘むる能は ざるを信ぜしならん、而て教祖を刑戮せし所の具たる十字架は、後年に至 りて地球上耶蘇宗の目標とならんとは、夢にだも期せざりし所ならん、然 るに該宗は千余年の後に至りては、欧州全土の帝王及び人民を支配するの 勢力を有するに至れり矣。仏帝拿破崙三世が独乙帝と戦端を開くに方りて や、米人英人は勿論、政治家、新聞記者の常に欧州の大勢に注目せし者は 異口同音に仏帝の勢力旺盛にして軍隊の厳整なるを称賛し、世に名もなき 独乙帝と仏帝との戦争は、恰も熟練の兵士が烏合の蛮人を討つに異ならず、 彼の前年拿破崙一世が全勝を得たるヂヱナの役の如く、六十日を出てずし て、仏国の旗章の独乙帝国の都城に翻へるは期して待つ可しと。而るに何 ぞ図らん、其予想は全く反対に出て、仏帝の軍畧、一として齟齬せざるな く、未だ六十日を出ざるに、仏帝三世は囚虜となりて軍門に降り、独乙の 旗章は却て巴里の城頭に飜翻たり。斯の如きは社会現象の変遷を証するの 好例にして、敢て怪む可きにあらずと雖も、世人が何事にあれ、予め期せ し所の者は、多くは此等の齟齬に陥らざるもの稀なり。尚近例を以てすれ ば、西郷隆盛が薩兵三万を卒ゐて、東上せんとするや、其の己れが武畧と 従へたる強兵とに依頼するの厚き熊本城は、一蹴して抜くを得可し、三十 日を出ずして、必す東京に達せんと、予め期する所ありし、而るに其予期 は、忽ちにして齟齬せしのみならず、田原坂の一敗、熊本の違算、終には 連戦連敗して、空しく城山洞中の鬼となりしに非すや。又た明治八年、政 府が新聞條例を頒布するに方りて、有司は皆な以為く一たび此條例を出せ ば、天下の粗暴論者は、必す謹慎して條例に遵はん、亦た前日の如き過激 論を出す事ある可らずと、而るに條例の頒布せらるゝや、時論は一層過激 に渉り、日として犯則の罪人あらざるはなく、條例なきの以前に比すれば、 却て罪人の数を増したるが如し、故に社会の事物は予め期す可らさるなり、 其期するものは必す此等の齟齬に陥り、狼狽せさる者、殆と少なし














拿破崙
ナポレオン

独乙
ドイツ

































以為(おもえら)く


遵(したが)はん


『二十三年未来記』目次/その2
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