Я[大塩の乱 資料館]Я
2014.9.20

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「大塩の乱関係論文集」目次


『二十三年未来記』
その2

柳窓外史(小柳津親雄)

今古堂書房  1883

◇禁転載◇

序 (2)

管理人註
  

然りと雖も、社会の事物、豈に悉く予期す可らさるの理あらんや、夫の鉱 山師が山嶽を相して、山中幾許の鉱脈あるを予算するが如きは、十中の 十、其の目的の如くならさるは莫し、其間、資金の不足を告ぐるが為に、 充分の目的を達し得ざるものあるも、鉱石の有無、鉱脈の起伏長短等に至 ては、敢て期する所に違はざる也。亦た彼の土木師が平原高野に運河を通 ずる水理上の目論見の如き、天文学士が金星の太陽を経過するを予算する が如き一として、其予言の如くならざるはなし、尚ほ著しき例を以てすれ ば、今を距る百二十年前安永、天明の時代にありて、林子平が海軍の拡張 せざる可らざるを予言せしが如き、是なり、誰か当時にありて外患の事を 知らんや、誰か魯西亜の北門にする事を知らんや、子平独り之を予言し て、百二十年の今日に至る迄、其言の如くならざるはなし。夫れ社会の現 象は変化極まりなく、事物の伸縮弛張も亦、決して予め期する能はざるが 如しと雖も、社会の事は其有機無機に論なく、一として一定の原則あつて、 之が変化の原因とならざるはなし、然れとも、学問上の推理法によりて之 が計算をなすときは、天下何事か予期す可らざるものあらんや、化学上 の経験によりては、蒸気力を推測して、其馬力に水毫も差あるなく、植 物学上の経験を以てすれば栽培法の実効上、違算あるを見ず、器械の装置 運転や、噴水器の水利や、皆な学問上の推測に基くものと言ふ可し、去れ ば其予期す可きものと、予期す可らざるものとは、社会の事物によりて其 区別あるに非ずして、一は学問上の方法によりて予期するにより、其の目 的を誤まらず、一は浅薄なる人智の妄断によりて予期するにより、他日の 齟齬に陥る者と言ふ可し 学問上の方法と言ども、徒らに学説文字上の議論を言ふにあらず、則ち単 純なる一現象を左右す可き諸種の原素を吟味推究するを要するなり、例へ ば此に米商人あり、現今米価ます/\下落するに際し、今日にして之を買 入れなば、利益を得可きや否やと言ふ単一の現象、則ち他日の変化を知ら んと欲せば、先づ之が原因たる諸種の原素を探求する事、是なり。米商人 は先つ左の如き順序によりて、細かに探究す可し  第一 現今浅草の米廩には、幾万石程の現米ある可きや否や  第二 大坂、桑名、新潟、石巻其他の米商が現に所有する所の現米は幾    干ありや否や  第三 三陸地方及米産地には、凡そ幾干の米を畜ひある可きや否や  第四 農民は米を売らんとする見込ある可きや、将た農民間の銭廻りは、    いかなる模様なるや否や  第五 近日に海外へ輸出さゝる米ありや否や、或は幾万石許りある可き    や否や  第六 現在全国の米数は幾干ありて、本年の秋、新米の出る迄には幾干    を消費す可きや否や  第八 金融及ひ洋銀の景況は、現今の有様より、他日いかんの景況に変    す可きや否や  第九 米商人間の与論は、米価のミ低に付き、如何なる点にある可きや    否や

















距(へだて)る




(こう)する















































幾干
(いくら)












「第七」は欠







ミ低
高低に同じ


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