天保十亥年六月参府して外桜田酒井の郷(許)に旅過(遇)せしとき、庄司美濃兵衛直胤と云 秋元家の刃劔鍛冶が、自ら鍛ひし刀に彫物をしたるを持参して貞に見せたり。其時 側に居合せたるもの
夫に付大坂にて大塩一件の節承りたる事あり。山崎弥四郎と申す仁、常に地蔵を信仰したる(処)、一件の節取急き出宅にて守袋の地蔵を失念して持参せす。其内に奉行所より場所へ討手に向ふ事になり、何共心かゝりなるゆへ町中の地蔵堂を見付け、一心不乱に祈誓して今日の加護を祷り、何卒無事に帰りたる上にては何成共 奉納可致間、夫まで何々(そ)を拝借申度と心中に祈願して堂の扉を開き見れは、石地蔵に紅木綿の頭巾をかふせあり。
其頭巾を取て懐中したれは心中何となく凉敷、雲のはれたる様に覚えたりと云事なり。
是等の所を以て刀劔へ神仏を彫りたるは佩るものの望みなりしこと明白なり。後世になりては、風流めきたる物を彫る事になりたれとも、夫は彫物の本意にあらす
貞が支配下の同心なるに是迄一向不知して、江戸にて初て弥四郎が事を聞て、帰坂の上弥四郎へ尋るに其通りのことなり。
箇様の類に多くありて、手元にて反て不知事多かるへし。
平八郎作詩 唐紙半切物贈呉候て所持の所、預所望 皆他人へ遣候。
其作詩は則左の通。
逸人踪跡遍江湖、 不破関頭信馬岨、 雪潔聖君立捨(轅)野、 気腥竪子走山途、 夏殷固主猶遭伐、 【艸/全】(菅)蔡雖親難免誅、 昧者逆天得(渾)若此、 当軍(年)義戦世休徳(誣)、 庚寅冬游尾(陽) 帰途経関原古戦場、賦詩解里人之惑 洗 心 洞 後 素 野約(釣)池頭【火鳥】差小、 游僧光(先)渡懆箕、 譲沱(他)一歩悠然度、 独木化為寛大橋、 平生仰望白雲峰、 登憩陰(独臨)小魯同、 洋海江沙(河)幾州(川)大、 尽輪一点眼晴中、 前詩游野渡橋即事、後詩登東山之旧製、書以示故人洗 心 洞
(了)