Я[大塩の乱 資料館]Я
2003.3.7修正/2000.12.9

玄関へ

大塩の乱関係論文集目次


「陽明学と大塩平八郎」

佐藤 庄太

『陽明学と偉人』武田文永堂 1912 所収


禁転載

一部読点を補記しています


平八郎、中斎と号す、阿波の人、寛政六年新町に生る、素(も)と、三宅姓なりしも幼にして父母に亡(わか)れ、大坂に出て大塩家に養れ以て姓となす、年少気英、十九才の時早くも既に大坂町奉行の与力と為り、機敏の名愈々高かりき。

性大に読書を好み、暇ある時は独修に勉め其精力殆ど人を驚倒せしむ、文政の末職を養子に譲り身は隠居して更に一新路に向つて頭角を出さんと欲す、是ぞ日頃、唱導せる所の、陽明学を以て世に立んと欲せしなり、即ち学塾を開き名けて「洗心洞学堂」と称す。 後、王陽明を此の学堂に祭り、日夜斎戒沐浴して尊崇極めて厚し、蓋し平八郎の精神は実に此の王陽明にてありしなり、後世評して曰く

当時、碩儒として声名高き、頼山陽の如き、朋友とて交り深く之に往来すること屡々なりき、故に山陽の京師に死するや、平八郎、直に京師に赴き親しく墓前に詣で慟哭すること多時なりしと云ふ、亦以て友情の厚きと信義の深き所あるを見るべし。

天保四年、満腔の心血を注ぎたる著書洗心洞箚記 *1 成る、六年四月之を世に公にす、七年、伊勢大廟に謁し其書一部を神庫に納め、後ち富嶽に登りて、又た一部を巓上の石室に蔵す、以て如何に陽明学に重きを置けるかを知るに足るべし。

偶々天保の飢饉あり衆民の困弊其極に達するも時の大坂町奉行等敢て之を救恤するの策を講ずるなし、平八郎之を救はんが為に遂に乱民の将となり、事成らずして自刃す、時に天保八年三月廿六日。*2

一冊の呻吟語

 之も陽明学者として熱心なりし、春日潜菴の陽明学を京師に唱ふや未だ壮年の比(ころ)なりき、一日大阪に遊び、某書肆に就て明の呂叔簡が著せし呻吟語を得て大に喜び将に帰らんとて、八軒家より舟に乘ぜんとする時書肆の番頭、追ひ来りて曰く

当時大塩は大阪町奉行の目附役として威権無比なりしかば、番頭が心に之を憂ひて懇ろに乞ひしも無理ならぬことなり、潜菴は笑ふて其書を還へしけるが之れより大塩は熱心に此の書を読破して其学大に進みける、甞て天人合一の意見を述べて曰く

性の論

 良知は各々具備す、恰も池中の水の如し、有らざるなし之を致すの難きは水に逆ふ舟の如し、惰(おこた)れば則ち退いて進まず、荀子之を致すの難きを覩(み)て遂に性悪と云ひ、孟子は有ざるなきを見て断じて性善と云ふ、夫れ之を致すの難ありと雖も然も有らざるなし、則ち本来の性固より善なるのみ、故に、性善の説は万世に冠して確乎其れ易(か)ふべからざるものなり、然も之を致さゞれば則ち視聴言動皆道を離る皆道を離るれば則ち果して人か、抑(そ)も獣か、若し獣なれば則ち性は果して善乎、抑も悪乎、吾れ荀説の世に孚あるを恐るゝなり、是が故に学者志を立て以て之を致さゞるべからざるなり。

性善論

 水の性は本(も)と寒し、火其の下に在れば則ち沸々然として化して湯となり了る、其時に当(あたつ)て水寒ありと雖も絶無なり、人の性は本と善なり、物其外を誘へば則ち■(ちやう)々然として化して悪と為り了る、其時に当つて人善を存ずと雖も或は無し、然も其火を去れば則ち寒復た依然たり、其物を拒(ふせ)げば則ち善も亦た現在す、若し火を去る早からざれば則ち焦枯し而して水と性と倶に滅せん、物を拒いで厳ならざれば、則ち壊乱して人と性と倶に亡びん、これ当然の理なり、吾輩 宜しく性を失はざるの工夫を用ふべきのみ。

洗心洞箚記の一節

一、先天は理のみ而して気其中にあり後天は気のみ而して理其中にあり、要するに理と気と一にして二、二にして一なるものなり、実に易を知るものにあらざれば孰(いづ)れか能く之を見んや。

一、後天よりして之を視れば則ち理と気と当(まさ)に分つべきに似たり、先天にありては固(もと)より理気の分つべきなし、独を慎み性に復(か)へるは便ち是先天の学にして而して猶ほ理気を以て二となす可ならんや、故に終身性に復ること能はず此れを以てなり。

一、勇士気を養ふて理を明かにせず、儒者理を明かにして気を養はず、常人は則ち亦気を養はず亦理を明らかにせず、栄辱禍福、惟是れ趨避(すうへき)のみ。理気合一、天地と徳を同ふし陰陽功を同ふするもの其れ唯聖賢か。

一、生を求めて以て仁を害することなし、夫れ生は滅あり仁は太虚の徳にして而して万古不滅のものなり、万古不滅のものを捨て而して滅することあるものを守るは惑なり、故に志士仁人彼れを捨て此れを取る誠に理あるかな、常人の知る所にあらざるなり。

一、太虚なり気なり万物なり道なり神なり、皆一物にして而して聚散の殊なるのみ要するに太虚の変化に帰するなり、故に人神を存して以て性を尽せば則ち散じて死すと雖も其方寸の虚は、太虚と混一して同流朽ず亡びず、人如(も)し虚を失はずして此に至れば亦大なり盛んなり。

一、常人天地を視て無窮となし、吾れを視て暫となす、故に欲を血気壮時に逞うするを以て務めとなすのみ、而して聖賢は則ち独り天地を視て無窮となすのみならず吾れを視て亦た以て天地となす、故に身の死するを恨みずして心の死するを恨む、心死せざれば則ち天地と無窮を争ふ是故に一日を以て百年となし心凛乎として深淵に臨むが如し、須臾(すゆ)も放失せざるなり、故に又甞て物を以て志を移さず、欲を以て寿を引かず、要するに人欲を去り天理を存ずるのみ。

一、利害生死の境に臨み真に趨避(すうへき)の心起さゞれば、則ち未だ五十に至らずして乃ち天命を知るなり、而して其心を動かして以て趨避するものは則ち百歳の老人と雖も実に夢生のみ。

一、良知を致すの学、但(たゞ)人を欺かざるのみならず、先づ自ら欺くことなきなり、而して其功夫(くふう)、屋漏より来たる戒慎と恐懼と須臾も遣るべからざるなり、一旦豁然として天理を心に見る、即ち人欲氷釈、凍解す、是に於て当(まさ)に洒脱の妙此れに超ゆるものなきを知るべし。

一、聖学の要読書の訣、只放心を求むるのみ、此外更に学なし、亦奚(いつくん)ぞ疑ふに足らんや。

一、書を読まば則ち心得躬行を貴ぶ。

一、若し私情に従ひ我意に任せ以て言動せば則ち胸、万巻に富むと雖も要するに書庫のみ貴ぶに足らざるなり。

一、丈夫の業は聖賢惟是れを期するのみ何の富貴利禄をか羨(うらや)まん。

一、夫れ古今の英雄豪傑は多く情欲上より做(な)し来たる、情欲上より做し来れば則ち驚天動地の大功業と雖も要するに夢中の伎倆のみ。

一、内に虚なるものは誤りて水に堕れば則ち皆な浮んで沈まず、此れ独り虫豸(ちうら)禽獣のみならず人と雖も亦た然り、然れども人は則ち沈んで浮(うかば)ずして死す、十人にして十人、百人にして百人曾て一の活者あるなし、何ぞや此れ他なし、其水に堕つるは即ち生を欲し死を悪(にく)むの念を起すこと彼れより甚し、而して其念既に方寸に塞がる、故に方寸実にして虚にあらず、况んや手を振ひ脚を動かし咽(のど)を破りて 号(きふがう)するをや、沈んで浮ばずして死す此れを以てなり、如(も)し其念と動となければ則ち必ず浮んで、沈まずして活(い)く是れ天理なり、又た奚(いづく)んぞ異ならんや。

一、眼を開いて天地を俯仰して以て之を観れば、則ち壌石は則ち吾が肉骨、草木は則ち吾が毛髪、雨水川流は則ち吾が膏血精液、雲煙風籟は則はち吾が呼吸吹嘘、日月星辰の光は則ち吾が両眼の光、春夏秋冬の運は則ち吾が五常の運にして太虚は則ち吾が心の蘊(うん)なり、嗚呼人七尺の躯にして天地と斉(ひと)しきこと則ち此の如し、三才の称豈(しようあ)に徒然ならんや、宜しく気質を変化し以て太虚の体に復すべきなり。

一、心は即ち五臓の心にして別に心なるものあるにあらざるなり、其五臓の心は僅に方一寸にして天理を蘊蓄す。

一、口耳の虚より五臓方寸の虚に至るまで皆是れ太虚の虚なり、而して太虚の霊は尽く五臓方寸の虚に萃(あつ)まる、便ち是れ仁義礼智の家する所なり。

子弟訓

中斎の子弟を導くや、訓戒至らざるなし、而して先づ其門に入るに当り「洗心洞盟約書」を服膺(ふくよう)せしめ以て其の薫陶に勉めける、盟約書に曰く

一、聖賢の道を学んで以て人たらんと欲せば則ち師弟の名を正さゞるべからざるなり、師弟の名正しからざれば則ち不善醜行ありと雖も誰れか敢て之を禁ぜん、故に師弟の名誠に正しければ則ち道其間に行はる、道行はれて善人君子出づ、然らば則ち名は学問の基なり正さゞるべけんや、某固陋寡聞と雖も一日の長を以て其責に任ずれば則ち師の名を辞するを得ず、而して其名の壊(やぶ)るゝと壊れざるとは大率(おほむね)下文条件の立つと立たざるとにあり、故に盟を入学の時に結び以て予め其不善に流るゝの弊を防ぐ。

一、忠信を主として聖学の意を失ふべからず、若し俗習の為に牽制せられて廃学荒業以て奸曲淫邪に陥らば、則ち其家の貧富に応じ某告ぐる所の経史尽く之を塾生に附す、若し其本人にして出藍の後各々其心の欲する所に従はゞ可なり。

一、学の要は孝弟仁義を躬行(きふかう)するにあるのみ、故に小説及び異端人を眩するの雑書を読むべからず、若し之を犯さば則ち少長となく鞭若干是れ即ち帝舜を教刑となすの遺意にして某の創する所にあらざるなり。

一、毎日の業、経業を先んじて詩章を後にす、若し之を逆施せば、鞭若干。

一、陰に交を俗輩悪人に締(むす)び以て登楼縦酒等の放逸を許さず、若し一たび之を犯せば即ち廃学荒業の譴(せめ)と同じ。

一、一宿中私に塾を出入するを許さず、若し某に請はずして以て擅(ほしいまゝ)に出れば則ち之を辞するに帰省を以てすと雖も敢て其譴を赦さず鞭若干。

一、家事変故あらば則ち必ず諮詢す、之に処するに道義あるを以ての故なり、某人の陰私を聞かんと欲するにあらざるなり。

一、喪祭嫁娶及び諸の吉凶必ず某に告げ、与に其憂喜を同うす。

一、公罪を犯せば則ち族親と雖も掩護すること能ず、之を官に告げて以て其処置に任ず、願くは(なんぢら)小心翼々父母の憂を貽(のこ)すことなかれ。

以上は中斎が学塾の法規にてありしなり、又以て如何に厳格なりしかを知るべし、又子弟に教ゆるの書に曰く

良知の弁

一、夫れ良知は、天を生じ、地を生じ、仁を生じ、義を生じ、礼智を生ずるの主宰なり。

一、良知は則ち之れを一貫するの霊光なり、故に易を生じ、詩を生じ、書を生じ、春秋を生ずるもの、尽く聖人の良知にあり、而して人々之を経に学ぶもの、亦只良知を致す のみ。

一、良知は武王の所謂、人は万物の霊なりの霊にして知覚聞見、情識、意見の知識にあらざるなり、故に若し能く後天の形気を忘れ真に志を立てば、則ち先天の霊心にありて照々明々未だ甞て泯(ほろ)びざるなり、黙して之を知る可なり、而して真に其良知を致さば則ち四書六経の言々語々皆其用をなすや断じて疑なし、可もなく不可もなく、適もなく莫もなく、唯、義、是れ従ふの妙用神通、自然に手に入るべし、真に良知を致さば則ち左右其源に逢ふて而して拘縛すべからざるなり。

一、海の東西南北となく、人たるもの是心あり是理あり而して学に志さば則ち彼四知の邪障を掃ふて是一知を明かにせざるべからざるなり。


管理人註
*1 原文は「剳」。
*2 大塩の最期は3月27日。


石崎東国『大塩平八郎伝』 その5
大塩の乱関係論文集目次

玄関へ