(一)
なれ
節『二百余年の泰平に、馴ては武士も町人も、花に戯れ月に酔、いろめ
く春の花衣、袖をつらねて遊びけり、折しも青天の霹靂か、砲煙空に
漲りて山河をうごかす鬨の声。
詞『天保八年二月十九日より二十日に亘つての騒動、俗に之を大塩騒動
と云つて、騒動の主人公大塩平八郎は寛政五年に阿波国美馬郡脇新町
に生れました、即ち当今の岩倉村字新町でございます、早くも両親に
へ
別れまして悲惨な境遇を歴て成長した不幸な人でございますが、十九
の時大阪町奉行の組与力となつた程の器量人、一旦吟味役として職務
を執る時は一刀両断、老練家をして舌を巻かしめたと云ふ程でござい
ます、その大塩が二十六の時、同じ大阪で弓奉行を勤めて居る、彼の
ひし
有名な近藤重蔵守重の荒肝を挫いだと云ふた話し。
ねとろう うそぶ
此の重蔵守重と云ふ人は、蝦夷地に渉つて択捉から樺太の海風に嘯
いて其名を天下に轟かせた豪傑、此時はモウ四十九でございまして、
へいげい
傲然一世を睥睨して尊大に構へて居ります、平八郎は未だ世間から重
きを置かれて居ない、小僧上りの青年ではあるが、重蔵の下風に立つ
いさぎよし を り
ことを 屑 としません又たその態度が癪に障つて堪らないで機会があ
へこ
れば高漫の鼻ツ柱を叩き折つて凹ましてやろうと心掛けて居る、が容
あるよ
易に機会がない、トウ/\我漫が出来なくなつて一夜、平八郎は重蔵
うち
の宅に行つて面会を求めました、取次に出た玄関番が暫くと云つて奥
へ這入ツたまゝ容易に出て来ません、ソレがもう平八郎の肝癪に障つ
たづ
て立去ろうとしたが、重蔵は奉行、我れは与力の身分殊に此方から訪
ね
問た身であるから、ジツと虫を抑へて待つて居ると、漸くの事で最前
くゞりもん ふたつ しとね
の玄関番が潜門をを開いて書院に案内した、広い書院には二個の褥、
つ い
二個の燭台には百目掛の蝋燭が点火て居る、煙草盆も出て居る。
ど
玄『只今主人が御面会申しまする、何うか暫らくお待ち下さるやうに……。
い
詞『と云つて出て去つたきり、お茶も出さねば、重蔵も出て来ぬ、待つ
とき
こと久し一時半、只今の三時間から待たされた、癇癪強い平八郎のこ
とですからいよ/\癪に障つた。
か
平『ウム、斯く迄、傲漫無礼な近藤とは知らなかつた、
はんぽ
節『如何に奉行と云ひながら、反哺の孝に三枝の礼、鳥さへ道をふむも
のを。
きやつ
平『察する所、彼奴も亦た、奉行職を笠に着て、虎の威を仮る狐だな、
ヨシツ。
きめ
節『狐狸の荒肝を、とつて呉れんと大塩が、覚悟を決て見廻せば、床に
かやく うなづい にっこり
据ある百目砲「硝薬もある」是れぢや/\と点頭て嫣然笑つてツカ/\。
づゝ こ め
詞『百目砲に手をかけまして、硝薬を装置る、ズドンと一発火蓋を切る。
節『家鳴振動すさましく、百雷一時にたつるかと、思ふばかりの筒の音、
はくねん
白烟みなぎり壁土も、障子も破れてグワラ/\、トタンに近藤重蔵は、
ひだり み ぎ
左手に提げたる煙草盆、右手に煙管を持ちまして。
重『一発のお手並感心いたした。
うじ
大『コレハ/\近藤氏でござるか、余り退屈いたしたのでツイ失礼。
節『失礼もないもんぢや。
詞『近藤は平気な顔をして。
いかゞ
重『イヤ、苦うござらぬ、最一発如何でござるの、ハツハゝゝ、誰ぞ用
意のもの持て。
さかもり
詞『これから座を改めましての酒宴。
重『何も御馳走とてはござらぬ、而し其の品を味つて下され、随分吟味
させた筈ぢや。
平『何か存ぜぬが、お心入れの御馳走、遠慮なく頂戴いたさう。
重『さ、遠慮なく召し上れ。
こ いき
節『何心なく蓋採れば、斯はソモ如何にノコ/\と、這ひ出す肴は、生
すつぽん
た儘の 鼈 ぢや。
つむじまがり おやぢめ
平『サテハ旋毛曲の老爺奴が、心憎くき振舞と。
いきなり
詞『突然小ネを抜て首を切る、血は流るゝ。
節『流るゝ血汐もろともに、舌打ならして食ふ様子、流石の近藤重蔵も、
と
之より肝胆相照し、昨日と彼方、今日は我れ、訪はれつ問ひし友垣の、
へだてぬなかとなりにける。
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