と き あは
詞『其後近藤重蔵の性質は時俗に遇ずして、勤方不相応と云ふ名目の下
に文政四年小普請方に移された、平八郎は意気投ずる近藤が居らなく
なつて不快に日を送つて居たが、第二の知己が出来た、と云ふは今後
新に大阪東町奉行として来た高井山城守実徳でございます、平八郎は
山城守の信用を得て、一躍して吟味方に引き上られた、其の頃一つは
をさまり
紀州家の領分と云ひ一つは岸和田の領分と云つて久しく決定のつかぬ
な ん だ い
難訴訟がございました、何しろ一方は当時威勢隆々天下を凌ぐ御三家
わざはひ
の一である、モシ之を非分に落さうものなら、後でドンな禍が身に落
いくら
ちかゝるかも知れない、と云ふ風で幾干役人を替て見ても、紀州家を
おもね
憚つて判決を与へない、所へ平八郎は威武に屈せず権勢に阿ねらず一
わか
刀両断黒白を判つと云ふ硬骨漢である、スルト或る夜、窃かに紀州領
につ
のものが平八郎を訪ねて賄賂沙汰『己れ悪くき曲者ツ』此処で充分言
こら
懲さんと。
節『思つて見たがイヤ/\左様ぢやない。
ど しめ
詞『何う考へたか、持て来た菓子函を其儘受取つて終つたから、サア占
つかへ
た、之れさへ遣ば大願成就。
節『今夜は前祝に一杯やろうと喜ご勇み立帰る。
やす
詞『その夜は寝む、夜が明ける、平八郎は奉行所に出て、双方を呼出し
た、ソコで形ばかりの訊問を開いて早速の宣告、驚いたのは列座の役
人、それよりも驚いたのは、賄賂を送つて前祝の連中。
節『思ひし事は水にかく、文字にも似たり小人が、はかなき頼みの夢さ
めて、はだへに寒き秋の霜。
詞『怨めしさうに平八郎の顔を眺めて居りましたが、公平無私の裁判で
しま
すから抗議する余地がない、是非なく低頭平身、恐れ入つて終つた。
さばき
○『イヤ大塩氏の御手柄でござる、貴殿が公明正大なお捌によつて、数
年苦心いたした難題も埒明き、我々ども迄執着に存じ申す。
詞『と苦り切つて挨拶をする、平八郎はソンな事には平気の平左で、家
を出る時持つて来た前夜の菓子函を目の前に出した。
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