その1
村上義光・島野 三千穂
『大阪城天守閣紀要 第14号』1986.3 より転載
ここに紹介する久松家文書は、島野三千穂蒐集文書の一つで、大坂城玉造口定番組与力久松家の由緒書を中心とした家譜・家史史料である。玉造口定番組与力としての久松家の成立は慶安元年(一六四八)であった。同年六月上総飯野藩主保科弾正忠正貞が玉造口定番に任ぜられた時、付属与力が二十騎増員されて合計三十騎となった。この時新規に召抱えられた与力のなかに久松家がはいっていた。初代を権兵衛といい、以後九代目時之助の時に明治維新を迎えた。家禄は切米二○○石(現米八○石)。
久松家文書の総点数は四十七点で、近世文書四十、近代文書七点であり、数量そのものはそう多くはない。しかし今日まで与力の家譜・家史関係史料は全く知られておらず、久松家文書の公表は定番組与力研究の出発点をなすと考えられる。次に同家文書の中の注目すべき史料を若干指摘しておきたい。宝暦二年(一七五二)「玉造与力屋舗并坪数覚控」は、表題の通り与力屋敷の経緯・時期・場所・坪数等が記録されていて得がたいものである。また天保八年(一八三七)の大塩事件で功をたてた玉造口与力坂本鉉之助は、事件落着後旗本格に昇格したが、その後任与力の補充問題も興味深い、この時久松家は八代目彦三郎家とは別に九一郎家を与力として創出することに成功したのであった。近代文書には明治維新下での旧与力の動向を伺い知る史料があり、これまた興味深い。なお久松家文書のうち一部は「玉造口組付与力久松氏と大塩事件」(『大塩研究第十九号』 一九八五年三月)に公表しているので参照していただけれ
ば幸いである。
●久松家系図 ●(略)
| 久松家文書目録 | ||||
|---|---|---|---|---|
| 文書名 | 年月日 | 宛 所 | 差出人 | |
| I 家系・親類書・由緒書 | ||||
| 1 | 親類書控 | 延享二年七月 | 丹羽和泉守 | 久松伴内 |
| 2 | 親類書下書 | 延享二年七月 | 丹羽和泉守 | 久松伴内 |
| 3 | 親類書控 | 享和三年九月 | 松平日向守 | 久松彦左衛門 |
| 4 | 親類書下書 | 宝暦四年十月 | 久松直之助 | |
| 5 | 親類書下書 | 宝暦九年閏七月 | 戸田大炊頭 | 久松直之助 |
| 6 | 親類書下書 | 宝暦十四年五月 | 戸田大炊頭 | 久松六郎右衛門 |
| 7 | 親類書控 | 明和元年十月 | 丹羽式部少輔 | 久松六郎右衛門 |
| 8 | 親類書控 | 安永四年 | 安部摂津守 | 久松六郎右衛門 |
| 9 | 親類書控 | 寛政九年 | 保科弾正忠 | 久松彦左衛門 |
| 10 | 親類書下書 | 嘉永七年 | 久松時之助 | |
| 11 | 江戸御城ニ納リ候与力親類書写 | 丑□月 | 久松権兵衛 | |
| 12 | 由緒書 | |||
| 13 | 由緒書 | 天保十三年十二月 | 久松彦三郎 | |
| 14 | 先祖実子養子明細書控 | 寛政三年 | 稲垣長門守 | 久松彦左衛門 |
| 15 | 家筋差出候書付写 | 延享三年七月 | 森川兵部少輔 | 久松元右衛門 |
| 16 | 家系差出書写 | 文化八年十月 | 久松半右衛門 | 六代目 久松彦左衛門 |
| 17 | 縁組説明差出書控 | 文化十一年八月 | 滋岡上総介 | 六代目 久松権兵衛 |
| 18 | 久松定重之支流家系書付控 | 申三月 | 桑原十□衛門 | 久松半右衛門 |
| U 勤 番 | ||||
| 19 | 玉造与力屋舗并坪数覚控 | 宝暦二年四月 | 戸田大炊頭 | 久松 |
| 20 | 諭誡 | 天保八年六月 | 久松彦三郎 | 久松権兵衛 |
| 21 | 久松九一郎新規御抱入記録 | 天保十年三月廿五日 | ||
| 22 | 久松丸一郎新規御抱入口上覚 | 天保十一年 | 久松九一郎 久松彦三郎 久松程翁 | |
| 23 | 与力席順書控 | 明治元年二月 | ||
| V 書状 | ||||
| 24 | 書 状 | 正月十五日 | 久松彦左衛門 | 久松半右衛門 |
| 25 | 書 状 | 十二月十一日 | 久松彦左衛門 | 飯田[ ] |
| 26 | 書 状 | 八月十五日 | 久松権兵衛 久松准大郎 | |
| 27 | 書 状 | 二月廿五日 | 久松権兵衛 久松准太郎 | 五味左織高宝 五味六郎左衛門高行 |
| 28 | 書 状 | 正月廿六日 | 久松権兵衛 久松准太郎 | 久松和左衛門 |
| 29 | 書 状 | 八月十七日 | 久松権兵衛 | 日下部三郎右衛門 酒居右膳 勝野五太夫 |
| 30 | 書 状 | 三月廿八日 | 久松権兵衛 | 酒井右膳 |
| 31 | 書 状 | 十一月六日 | 久松権兵衛 | 丹下半左衛門 |
| 32 | 書 状 | 三月四日 | 松慶院 | おば |
| 33 | 書 状 | 水無月廿三日 | おひで | 渋谷平兵衛 |
| 34 | 書 状 | 十二月十八日 | 久松彦三郎 | 高須三左衛門 |
| 35 | 書 状 | 正月 | 久松時之助 | 竹中半蔵 中村弥一右衛門 |
| 36 | 書 状 | 正月 | 久松時之助 | 竹中半蔵 中村弥一右衛門 |
| 37 | 書 状 | 六月廿九日 | 久松時之助 | 保 弾正忠 |
| 38 | 書 状 | 正月十二日 | 久松時之助 | 保 弾正忠 |
| W その他 | ||||
| 39 | 久松権兵衛ノ葬式行列書 | |||
| 40 | 屋敷地図 (東京浜町二丁目伊予松山屋敷カ) | |||
| X 近代文書 | ||||
| 41 | 口上覚 | 明治四年五月七日 | 久松時之助 | |
| 42 | 士族復籍願書及指令 | 明治三十年四月 | 内務大臣伯爵 樺山資紀 | 玉造与力同心 京橋与力同心 川口与力同心 天満与力 御鉄砲同心 計八十八名 |
| 43 | 平民ヨリ士族編入写及び袋 | 明治三十一年三月廿二日 | 久松時之助 | 大阪府 |
| 44 | 同右につき旧拝領地控 | 明治三十七年六月 | 久松猶一 | |
| 45 | 覚 書 | |||
| 46 | 年中行事 | 本家久松姓 | ||
| 47 | 久松家則心得書の事 | 大正三年一月十日 | ||