−末吉平左衛門−、−畑佐秋之助−
島野 三千穂
『大塩研究 第25号』1989.3より転載
(イ)所在 関西本線平野駅下車後南東へ杭全(くまた)神社の森を目標にして徒歩十分。その西側。大阪市平野区長宝寺末吉家全興寺墓地内西末吉家墓群
(ロ)略伝 平野郷は土井氏の藩領で陣屋があり、土井利位が大坂城代の時に事件に遭遇、西末吉家(坂上七名 家(さかのうへしちみょうけ)の一族という)の末吉平左衛門は惣年寄の一人であったがこの時活躍した事は、本誌二、六、二十・二十一合併号、洗心洞通信(9)に詳しい。大塩父子の美吉家五郎兵衛宅潜伏発覚の端緒ともなったらしい。
(ハ)刻文
正面 | 高雲院道夢居士 |
右側面 | 翁者大和州旧族本性高橋氏宗邦君之第二子来婿于 末吉氏為道隣君之嗣諱道房号平左衛門初翁之来也 末吉氏家道頗窮翁勤業鞅掌家復饒冨遂与 邦君土井公出納之事為郷大長最善経済常幹弁 |
裏面 | 公家経費屡有勤労塩賊之乱翁立偉功前後賜俸九口 其五口以為世伝特例也晩年退休薙髪更号 翁文久 二年壬戌十月二十日病歿年六十有九葬于禁輪寺先 塋之次生六男三女道一道定及一男者先配之出也正 順正位以下皆継室足守藩士清氏之出也道定先死道 一嗣家正順出嗣堺府高木氏正位婿于浪華辻氏長女 適于津田氏亦先死季女適于本郷三上氏其余二男一 女皆夭 |
左側面 | 文久三年癸亥七月 孝子 道一建 |
(2)畑佐秋之助
(イ)所在 光善寺(大阪市天王寺区生玉寺町)本誌十七号四十四ぺージ地図の銀山寺と向い合った寺で、寺中無縁墓群の中央に北面して正面のみ見せている。
(ロ)略伝 事件当時大坂定番玉造口遠藤但馬守公用人であった。与力のように地付きでなく、江州三上より藩主に随従して来坂して居た。墓碑銘の戒名或は姓名は(無縁墓中にある為)確認不可能であるが、幸い天保十年九月廿六日の没年月日が過去帳の記載と合致するので本人と判断した。
(過去帳)
寺内江 土葬 | 樹□秋山信士 | 九月廿六日 | 遠藤家中 畑佐秋之助□□ |
士阪本氏殪其一人賊鋒判【血刃】□□ |
□伏而逃於是市民始定明年□□ |
官特賞其指□之功而有賜 公□ |
榮之今茲十年己亥九月二十六□ |
葬于上街光善寺居士為人温厚□ |
顕而天吝其寿不亦可悼乎 公□ |
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