平八郎の著書には、古本大学刮目七冊、洗心洞箚記二冊、同附録抄一
冊、奉納書籍聚跋一冊、儒門空虚聚語二冊、増補孝経彙註三冊、洗心洞
学名学則一冊、合計七部の著書があるが、就中洗心洞箚記の書が最も
し
世に弘く行はれて居る。蓋し平八郎の思想を解するには此一書に如くも
ちなみ かたき
のはない、因に記す。彼の平八郎の敵役であつた跡部山城守良弼は、大
塩乱鎮定の時には流石に恩賞にも預らなかつたけれども、彼には確かに
一種の官海遊泳の秘訣を持つものと見えて、其後一年を隔てた天保十年
九月に、大目附に栄転して江戸に帰つた。併しそれの栄転と否とには拘
らず、彼の大阪を離れた事は、同市民の一大歓喜であつたに相違ない。
(完)
|