Я[大塩の乱 資料館]Я
2013.4.28

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「大塩の乱関係論文集」目次


『民本主義の犠牲者大塩平八郎』

その128

相馬由也

開発社 1919

◇禁転載◇

十七、交友と著述 (10) 管理人註
   

 平八郎の著書には、古本大学刮目七冊、洗心洞箚記二冊、同附録抄一 冊、奉納書籍聚跋一冊、儒門空虚聚語二冊、増補孝経彙註三冊、洗心洞 学名学則一冊、合計七部の著書があるが、就中洗心洞箚記の書が最も                               世に弘く行はれて居る。蓋し平八郎の思想を解するには此一書に如くも      ちなみ         かたき のはない、因に記す。彼の平八郎の敵役であつた跡部山城守良弼は、大 塩乱鎮定の時には流石に恩賞にも預らなかつたけれども、彼には確かに 一種の官海遊泳の秘訣を持つものと見えて、其後一年を隔てた天保十年 九月に、大目附に栄転して江戸に帰つた。併しそれの栄転と否とには拘 らず、彼の大阪を離れた事は、同市民の一大歓喜であつたに相違ない。 (完)

    
 


『民本主義の犠牲者大塩平八郎』目次/その127

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