Я[大塩の乱 資料館]Я
2000.4.9訂正
2000.3.30

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大塩の乱関係論文集目次

高安月郊「大塩平八郎」目次


「大 塩 平 八 郎」その2

高安 月郊(1868-1944)

金港堂書籍 1902 より



◇禁転載◇

第一段  其一 権現宮

    
***
正面遠く徳川家康の廟あり、左右に諸侯より献じたる石灯籠並ぶ。前に門あり、片側に茶店あり、床机二つ三つ鈴太鼓の音。 幇間鸚鵡踊って出づ。
鸚鵡お蔭ぢや お蔭ぢや お蔭ぢや お蔭ぢや お蔭ぢや お蔭ぢや。
大米屋金之助、豪商の若旦那の風、羽織ぞろりと着て、懐手、芸子、舞子、仲居つれて出づ。
金之 これこれ 鸚鵡、好い加減に止めんかい。
芸子人が顔を見ますぞえ。
舞子あれ 向で笑ふて居やんす。
仲居まあ お休みなさんせいなあ。
     皆 床机にかける、茶店女茶を汲で出す。
ようお参りでござります。
金之けふは えらう淋しいなあ。
此頃はお蔭参りで、皆お伊勢様へおいで故、それでこちらは此通り淋しいのでござります。
鸚鵡それどうでござります、何しろ六つや七つの子が、親にねだつて叱られて、入れられた押入を、いつの間にやら抜参り、太神宮のお祓を、首にかけて戻つたとは、第一お蔭ぢやござりませぬか、それから続いてお礼参り、阿波から江州 紀州 五畿内、此大阪の人気といふたら、落城此方無い騒ぎ、
金之仰山な事云ひをるわい。
仲居いえいえ 本間でごさんす。内の旦那も此間、緋縮緬のぱつちの揃へ、百人連(づれ)でおいでなさんしたし。
芸子私等仲間も抜参り、手柄顔に致しやす。
舞子白馬に乗つて八つの子が参つたていふぢやござんせぬか。
鸚鵡「犬までもお札を下げてお蔭かな」でござります。
金之そりや面白い、誰の句ぢや
鸚鵡それよりは「施行駕、乗手の方がくたびれる。」
金之ハゝゝゝ いや施行と云や内の親父も、二百両張込だ。
鸚鵡左様ぢや 相にござりますな。イヤまた施行のはやる事。堂島は施行宿、十二浜は米三十石、市の側は草鞋(わらぢ)二万、薬屋は黒丸子、本屋は道中記、竹屋は竹杖、紙屋は半紙、烟草 手拭 縮緬 雑魚、雲助まで只で乗せます。これでは芸子さん達も、施行三味線 施行舞、我等も一つ施行して、歌右衛門か幸四郎、道々やつて往きませう。旦那どうでござります、此勢で抜参り、アツと云はそぢやござりませぬか。
金之えらい事を云ひ出したな。
鸚鵡それでもお蔭ぢやござりませぬか。斯うお供してまゐつた所は、先づ若旦那のお蔭でござりませう。其又 若旦那の御全盛は、大旦那の皆お蔭、大旦那は又御代代、御先祖は東照宮権現様のお蔭で太平、其又権現様も源を正して見ればお伊勢様、それお蔭ぢやござりませぬか。
芸子何ぢや鸚鵡さん、えらい理屈ぢやなあ。
金之いや云ふて見ればそんなものぢや、そんならこれから行くとしやうか。
    幇間阿蘭陀擬(まがひ)錦襴の筒袖を着て走つて出づ。
阿蘭若旦那 若旦那
金之なんぢや阿蘭陀、其躰は。
阿蘭此筒袖でござりますか。阿蘭陀も名ばかりでは面白うござりませぬ故、けふは一つ目先を変へ、羽織から阿蘭陀風。
鸚鵡其いでたちでお蔭参りか。
阿蘭いゝや伊勢より西の方、長崎行はどうでござります。
金之なに長崎、これはまた思ひもよらぬ。
阿蘭日本三景も皆御存じ、湯治場も御退屈、それより一つ新しい日本でも唐(から)阿蘭陀、変つた所を御見物とは、何と妙ではござりませぬか。
金之これはまた妙過て、一寸思案がつかぬわい。
鸚鵡いや長崎行も変つて居るが、当時は何でもお蔭参り、矢つ張お伊勢様が好うござりませう。
金之さうぢやこれも流行(はやり)故、後れるのも残念ぢや。
芸子そんならこれからお伊勢様へ?
金之オゝ直に行くとしやう。
阿蘭それならばまた趣向、どうぢや鸚鵡何が好からう。
鸚鵡されば只参つては面白無し、揃いの衣裳も趣向して、どうぢや忠臣蔵の討入装束。
阿蘭忠臣蔵はもう古い。それよりは佐倉宗五郎、百姓一揆の蓑笠出たち。
芸子もつさりした事云はしやんすな。
阿蘭そんなら揃ひで此筒袖。
仲居あほらしい、私等まで筒袖が着られるかいな。
鸚鵡やつぱり戻つて元の猫ぢや。そんなら揃ひの緋縮緬、上へわざと破れ合羽。
阿蘭杓を犀の角でして、通し駕もお慰み、途中で一寸施行して、
鸚鵡金銀の大花籠、これを先へ押立てゝ、戻りには宇治橋か、お杉お玉の横面へ投げてやるとはどうでござります。
金之面白い面白い、極めた極めた、それでは直に其用意、それ二十両、二人して走つて行け。私はこれから網島で、一杯飲で待つて居る。
鸚鵡かしこまりました。そんなら若旦那。
阿蘭皆さん、お頼み申します。どれ一走り。
鸚鵡やあとこせい、
阿蘭       よいとやあ。
    二人走って入る
金之ハゝゝゝゝゝ いやこつちもそれでは、やあとこせいぢや。
    立上る
芸子そしてあの権現様へは?
金之権現様はまた今度、お伊勢様と極めて見ると、何とやら気がせくわい。
仲居そんならお参り
舞子       なされませぬか、
金之それより早く行くとしやう。皆来い来い
    皆上手へ入る
難有うござります。
    片付けて入る
    美好五郎兵衛みすぼらしき姿、腕を組で、門より出づ。
五郎  (金之助の跡を見送り)あ様々ぢやなあ。有る所にはあの通り、湯水の様に使ふても、矢つ張跡から湧いて来る。無い者は此通り、毎日々々働いても、年貢諸役御用金、かてゝ加へて 大風大水、不作にかさむ借銭に、田地諸道具皆取られ、三郷借家も居たゝまらず、百軒長屋の苦しさより、捨てゝ置かれぬ先祖のお位牌、代々のお形見まで、人手に渡す口惜しさ、小前ながらも養子の身、私になつて潰しては、どうしても云訳無い、といふて戻す見込はなし。忌々しいはあの息子、位牌を出してやる代り、厭がる娘を妾にとは、余り見下げた申分。癪にさわつてならぬ故、そんなら入らぬと断つて、私から切つた頼みの綱。落ちた跡は女房子が、困るは知れた事ながら、共々乞食しやうより、いつそ無くばと、空頼み。かう運が傾いては、何をしても手違ばつかり。面白無い娑婆に居て、済まぬ済まぬと苦しるより、先は知れぬがこんな身は、地獄でもかまひはせぬ、鬼には此世で逢ふて居る。余所目に極楽見るよりも、皆目見えぬが好いであらう。
     大米屋番頭銀兵衛下手より出づ
銀兵 オゝ五郎兵衛さん、好い所で逢ひました、まあ茲へかけて下され。(床机へかけ)時に此間の返事はなあ?
五郎娘の事ならきつぱりと、お断り申しました。
銀兵 そつちはきつぱり断つても、こつちがさつぱり思切られぬ。も一度思案し直して承知したらどうぢやいな。
五郎エイ何と仰つても、お断り申します。
銀兵そんなら何か、先祖の位牌も大事の品も、取り返さいでもかまはぬのか。
五郎かまはぬ事はござりませぬが、どうも仕様がござりませぬ。
銀兵何の仕様がない事があらう。娘の事さえ承知をしたら、直埒のあく事ぢや。それとも達てことわるなら、若旦那のあの気性、位牌も何も一握み、焼ておしまひなさるであらう。
五郎そりやまた無法ぢやござりませぬか。大切な先祖の位牌。
銀兵 そつちには大切でも、こつちには屑同然。我楽多とあの娘。こりやえらい替へ徳ぢや。お前達も一生涯、左団扇でくらされる、こんな甘い話はない。金の港の大阪でも、一か二の大米屋、大港に寄りもせず、浪にゆられて捨小舟流れて、行くとは余りたはけ。
五郎たはけでも阿保でも、娘の綱でかゝり舟、そんなさもしい事はしませぬ。
銀兵其なりになつて痩我慢、あきれてものが云はれぬわい。しかしこちの若旦那、一方ならぬはまり様、南も北も漕ぎ分けて、上句の果の枯芦が、靡かぬとて引かれはせぬ。こりやも一度出直す故、是非共返事をして下され。
五郎エイしつこい、断はりました。
銀兵まあさ思案をしなされといふに。
     入る
五郎貧乏すれば侮つて、何を云ふても聞入れぬ、忌々しい男ぢやなあ。しかし誰もあの通り、金があればあの阿呆も、若旦那とそやし立て何事も思ふまゝ、金が無いばつかりで可愛い娘をもてあそび、エイ誰がするものか、お金といふもの誰が造つた。敵ぢや鬼ぢや魔王ぢやなあ。
     娘おみね急いで出づ。
みねオゝ父親(とゝさん)、こゝにおいでなされましたか。
五郎ヤ娘――お前はどうして。
みね私やあなたの御様子が、どうも心にかゝる故、追ひかけてまゐりました。そして工面は出来ましたか、
五郎何の出来るはづがあらう。
みねそんなら何となされます。
五郎何とゝ云ふて仕様が無い。私はこれから――旅へ行く。
みね旅へとはそりやどこへ。
五郎さうぢやあのお蔭参り。
みね気楽な事を云はしやんすな。そこどころではござりませぬ。
五郎いや所詮これといふ当はなし、それよりはお伊勢様、お参りでもして見たら、また好い事があろも知れぬ。あ此世は誰のお蔭やら、目当も知れぬお礼参り、一人旅ぢや心がせく。
みねまあ待つて下さりませ。何やら胸が騒いで来た。こりや止めて下さりませ。お金の工面も私の身をどうかしたら出来ませう。
五郎 エイ仮令餓死すればとて、娘を売って食う様な五郎兵衛は親ぢやないわい。
みねそれぢやと云ふて此せつぱ。
五郎それもどうかなるであらう。もう私の事は心配すな。
みねそれではどうでもお参りに?
五郎オゝお礼やらお詫びやら――そなたにも済まなんだ。堪忍してくれ堪忍してくれ。
みねエイ気になる事ばかり、短気な事なさるのではござりませぬか。
五郎何の短気――気長う遠い旅をする。これは僅かばかりぢやが、当分の暮しにしや。
   財布を渡す
みねそしてあなたの路用は?
五郎一文無しで行ける旅ぢや、それよりは跡の事、必ず必ず身を落すな。
みねそれは洗濯賃仕事、何なりとして行きますが、早う帰つて下さりませ。
五郎帰りたいは山々ぢやが劒の山か、血の池か――
みねエイ。
五郎死だと思ふて回向して――
みねえい 元の悪い事云はしやんす。こりや是非止めて下さりませ。
五郎いやいやどうも止められぬ。そなたは随分無事に居や、親は無くとも子は育つ、こんな親は無い方が好い運がまはつて来う。蔭ながら祈るぞよ。
    行きかける
みねこれまあ待つて下さりませ。
五郎いゝや止めるな、さらばじやわい。
  振切つて入る
みねあれ父様、待つて下さんせいなあ。
  追ひかけて入る

高安月郊「大塩平八郎」目次その1(登場人物)/その3

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