高安 月郊(1868-1944) 金港堂書籍 1902 より
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正面遠く徳川家康の廟あり、左右に諸侯より献じたる石灯籠並ぶ。前に門あり、片側に茶店あり、床机二つ三つ鈴太鼓の音。 幇間鸚鵡踊って出づ。 | ||||||||||||||||||||||||||||
鸚鵡 | お蔭ぢや お蔭ぢや お蔭ぢや お蔭ぢや お蔭ぢや お蔭ぢや。 | ||||||||||||||||||||||||||||
大米屋金之助、豪商の若旦那の風、羽織ぞろりと着て、懐手、芸子、舞子、仲居つれて出づ。 | |||||||||||||||||||||||||||||
金之 | これこれ 鸚鵡、好い加減に止めんかい。 | ||||||||||||||||||||||||||||
芸子 | 人が顔を見ますぞえ。 | ||||||||||||||||||||||||||||
舞子 | あれ 向で笑ふて居やんす。 | ||||||||||||||||||||||||||||
仲居 | まあ お休みなさんせいなあ。 | ||||||||||||||||||||||||||||
皆 床机にかける、茶店女茶を汲で出す。 | |||||||||||||||||||||||||||||
女 | ようお参りでござります。 | ||||||||||||||||||||||||||||
金之 | けふは えらう淋しいなあ。 | ||||||||||||||||||||||||||||
女 | 此頃はお蔭参りで、皆お伊勢様へおいで故、それでこちらは此通り淋しいのでござります。 | ||||||||||||||||||||||||||||
鸚鵡 | それどうでござります、何しろ六つや七つの子が、親にねだつて叱られて、入れられた押入を、いつの間にやら抜参り、太神宮のお祓を、首にかけて戻つたとは、第一お蔭ぢやござりませぬか、それから続いてお礼参り、阿波から江州 紀州 五畿内、此大阪の人気といふたら、落城此方無い騒ぎ、 | ||||||||||||||||||||||||||||
金之 | 仰山な事云ひをるわい。 | ||||||||||||||||||||||||||||
仲居 | いえいえ 本間でごさんす。内の旦那も此間、緋縮緬のぱつちの揃へ、百人連(づれ)でおいでなさんしたし。 | ||||||||||||||||||||||||||||
芸子 | 私等仲間も抜参り、手柄顔に致しやす。 | ||||||||||||||||||||||||||||
舞子 | 白馬に乗つて八つの子が参つたていふぢやござんせぬか。 | ||||||||||||||||||||||||||||
鸚鵡 | 「犬までもお札を下げてお蔭かな」でござります。 | ||||||||||||||||||||||||||||
金之 | そりや面白い、誰の句ぢや | ||||||||||||||||||||||||||||
鸚鵡 | それよりは「施行駕、乗手の方がくたびれる。」 | ||||||||||||||||||||||||||||
金之 | ハゝゝゝ いや施行と云や内の親父も、二百両張込だ。 | ||||||||||||||||||||||||||||
鸚鵡 | 左様ぢや 相にござりますな。イヤまた施行のはやる事。堂島は施行宿、十二浜は米三十石、市の側は草鞋(わらぢ)二万、薬屋は黒丸子、本屋は道中記、竹屋は竹杖、紙屋は半紙、烟草 手拭 縮緬 雑魚、雲助まで只で乗せます。これでは芸子さん達も、施行三味線 施行舞、我等も一つ施行して、歌右衛門か幸四郎、道々やつて往きませう。旦那どうでござります、此勢で抜参り、アツと云はそぢやござりませぬか。 | ||||||||||||||||||||||||||||
金之 | えらい事を云ひ出したな。 | ||||||||||||||||||||||||||||
鸚鵡 | それでもお蔭ぢやござりませぬか。斯うお供してまゐつた所は、先づ若旦那のお蔭でござりませう。其又 若旦那の御全盛は、大旦那の皆お蔭、大旦那は又御代代、御先祖は東照宮権現様のお蔭で太平、其又権現様も源を正して見ればお伊勢様、それお蔭ぢやござりませぬか。 | ||||||||||||||||||||||||||||
芸子 | 何ぢや鸚鵡さん、えらい理屈ぢやなあ。 | ||||||||||||||||||||||||||||
金之 | いや云ふて見ればそんなものぢや、そんならこれから行くとしやうか。 | ||||||||||||||||||||||||||||
幇間阿蘭陀擬(まがひ)錦襴の筒袖を着て走つて出づ。 | |||||||||||||||||||||||||||||
阿蘭 | 若旦那 若旦那 | ||||||||||||||||||||||||||||
金之 | なんぢや阿蘭陀、其躰は。 | ||||||||||||||||||||||||||||
阿蘭 | 此筒袖でござりますか。阿蘭陀も名ばかりでは面白うござりませぬ故、けふは一つ目先を変へ、羽織から阿蘭陀風。 | ||||||||||||||||||||||||||||
鸚鵡 | 其いでたちでお蔭参りか。 | ||||||||||||||||||||||||||||
阿蘭 | いゝや伊勢より西の方、長崎行はどうでござります。 | ||||||||||||||||||||||||||||
金之 | なに長崎、これはまた思ひもよらぬ。 | ||||||||||||||||||||||||||||
阿蘭 | 日本三景も皆御存じ、湯治場も御退屈、それより一つ新しい日本でも唐(から)阿蘭陀、変つた所を御見物とは、何と妙ではござりませぬか。 | ||||||||||||||||||||||||||||
金之 | これはまた妙過て、一寸思案がつかぬわい。 | ||||||||||||||||||||||||||||
鸚鵡 | いや長崎行も変つて居るが、当時は何でもお蔭参り、矢つ張お伊勢様が好うござりませう。 | ||||||||||||||||||||||||||||
金之 | さうぢやこれも流行(はやり)故、後れるのも残念ぢや。 | ||||||||||||||||||||||||||||
芸子 | そんならこれからお伊勢様へ? | ||||||||||||||||||||||||||||
金之 | オゝ直に行くとしやう。 | ||||||||||||||||||||||||||||
阿蘭 | それならばまた趣向、どうぢや鸚鵡何が好からう。 | ||||||||||||||||||||||||||||
鸚鵡 | されば只参つては面白無し、揃いの衣裳も趣向して、どうぢや忠臣蔵の討入装束。 | ||||||||||||||||||||||||||||
阿蘭 | 忠臣蔵はもう古い。それよりは佐倉宗五郎、百姓一揆の蓑笠出たち。 | ||||||||||||||||||||||||||||
芸子 | もつさりした事云はしやんすな。 | ||||||||||||||||||||||||||||
阿蘭 | そんなら揃ひで此筒袖。 | ||||||||||||||||||||||||||||
仲居 | あほらしい、私等まで筒袖が着られるかいな。 | ||||||||||||||||||||||||||||
鸚鵡 | やつぱり戻つて元の猫ぢや。そんなら揃ひの緋縮緬、上へわざと破れ合羽。 | ||||||||||||||||||||||||||||
阿蘭 | 杓を犀の角でして、通し駕もお慰み、途中で一寸施行して、 | ||||||||||||||||||||||||||||
鸚鵡 | 金銀の大花籠、これを先へ押立てゝ、戻りには宇治橋か、お杉お玉の横面へ投げてやるとはどうでござります。 | ||||||||||||||||||||||||||||
金之 | 面白い面白い、極めた極めた、それでは直に其用意、それ二十両、二人して走つて行け。私はこれから網島で、一杯飲で待つて居る。 | ||||||||||||||||||||||||||||
鸚鵡 | かしこまりました。そんなら若旦那。 | ||||||||||||||||||||||||||||
阿蘭 | 皆さん、お頼み申します。どれ一走り。 | ||||||||||||||||||||||||||||
鸚鵡 | やあとこせい、 | ||||||||||||||||||||||||||||
阿蘭 | よいとやあ。 | ||||||||||||||||||||||||||||
二人走って入る | |||||||||||||||||||||||||||||
金之 | ハゝゝゝゝゝ いやこつちもそれでは、やあとこせいぢや。 | ||||||||||||||||||||||||||||
立上る | |||||||||||||||||||||||||||||
芸子 | そしてあの権現様へは? | ||||||||||||||||||||||||||||
金之 | 権現様はまた今度、お伊勢様と極めて見ると、何とやら気がせくわい。 | ||||||||||||||||||||||||||||
仲居 | そんならお参り | ||||||||||||||||||||||||||||
舞子 | なされませぬか、 | ||||||||||||||||||||||||||||
金之 | それより早く行くとしやう。皆来い来い | ||||||||||||||||||||||||||||
皆上手へ入る | |||||||||||||||||||||||||||||
女 | 難有うござります。 | ||||||||||||||||||||||||||||
片付けて入る | |||||||||||||||||||||||||||||
美好五郎兵衛みすぼらしき姿、腕を組で、門より出づ。 | |||||||||||||||||||||||||||||
五郎 | (金之助の跡を見送り)あ様々ぢやなあ。有る所にはあの通り、湯水の様に使ふても、矢つ張跡から湧いて来る。無い者は此通り、毎日々々働いても、年貢諸役御用金、かてゝ加へて 大風大水、不作にかさむ借銭に、田地諸道具皆取られ、三郷借家も居たゝまらず、百軒長屋の苦しさより、捨てゝ置かれぬ先祖のお位牌、代々のお形見まで、人手に渡す口惜しさ、小前ながらも養子の身、私になつて潰しては、どうしても云訳無い、といふて戻す見込はなし。忌々しいはあの息子、位牌を出してやる代り、厭がる娘を妾にとは、余り見下げた申分。癪にさわつてならぬ故、そんなら入らぬと断つて、私から切つた頼みの綱。落ちた跡は女房子が、困るは知れた事ながら、共々乞食しやうより、いつそ無くばと、空頼み。かう運が傾いては、何をしても手違ばつかり。面白無い娑婆に居て、済まぬ済まぬと苦しるより、先は知れぬがこんな身は、地獄でもかまひはせぬ、鬼には此世で逢ふて居る。余所目に極楽見るよりも、皆目見えぬが好いであらう。 | ||||||||||||||||||||||||||||
大米屋番頭銀兵衛下手より出づ | |||||||||||||||||||||||||||||
銀兵 | オゝ五郎兵衛さん、好い所で逢ひました、まあ茲へかけて下され。(床机へかけ)時に此間の返事はなあ? | ||||||||||||||||||||||||||||
五郎 | 娘の事ならきつぱりと、お断り申しました。 | ||||||||||||||||||||||||||||
銀兵 | そつちはきつぱり断つても、こつちがさつぱり思切られぬ。も一度思案し直して承知したらどうぢやいな。 | ||||||||||||||||||||||||||||
五郎 | エイ何と仰つても、お断り申します。 | ||||||||||||||||||||||||||||
銀兵 | そんなら何か、先祖の位牌も大事の品も、取り返さいでもかまはぬのか。 | ||||||||||||||||||||||||||||
五郎 | かまはぬ事はござりませぬが、どうも仕様がござりませぬ。 | ||||||||||||||||||||||||||||
銀兵 | 何の仕様がない事があらう。娘の事さえ承知をしたら、直埒のあく事ぢや。それとも達てことわるなら、若旦那のあの気性、位牌も何も一握み、焼ておしまひなさるであらう。 | ||||||||||||||||||||||||||||
五郎 | そりやまた無法ぢやござりませぬか。大切な先祖の位牌。 | ||||||||||||||||||||||||||||
銀兵 | そつちには大切でも、こつちには屑同然。我楽多とあの娘。こりやえらい替へ徳ぢや。お前達も一生涯、左団扇でくらされる、こんな甘い話はない。金の港の大阪でも、一か二の大米屋、大港に寄りもせず、浪にゆられて捨小舟流れて、行くとは余りたはけ。 | ||||||||||||||||||||||||||||
五郎 | たはけでも阿保でも、娘の綱でかゝり舟、そんなさもしい事はしませぬ。 | ||||||||||||||||||||||||||||
銀兵 | 其なりになつて痩我慢、あきれてものが云はれぬわい。しかしこちの若旦那、一方ならぬはまり様、南も北も漕ぎ分けて、上句の果の枯芦が、靡かぬとて引かれはせぬ。こりやも一度出直す故、是非共返事をして下され。 | ||||||||||||||||||||||||||||
五郎 | エイしつこい、断はりました。 | ||||||||||||||||||||||||||||
銀兵 | まあさ思案をしなされといふに。 | ||||||||||||||||||||||||||||
入る | |||||||||||||||||||||||||||||
五郎 | 貧乏すれば侮つて、何を云ふても聞入れぬ、忌々しい男ぢやなあ。しかし誰もあの通り、金があればあの阿呆も、若旦那とそやし立て何事も思ふまゝ、金が無いばつかりで可愛い娘をもてあそび、エイ誰がするものか、お金といふもの誰が造つた。敵ぢや鬼ぢや魔王ぢやなあ。 | ||||||||||||||||||||||||||||
娘おみね急いで出づ。 | |||||||||||||||||||||||||||||
みね | オゝ父親(とゝさん)、こゝにおいでなされましたか。 | ||||||||||||||||||||||||||||
五郎 | ヤ娘――お前はどうして。 | ||||||||||||||||||||||||||||
みね | 私やあなたの御様子が、どうも心にかゝる故、追ひかけてまゐりました。そして工面は出来ましたか、 | ||||||||||||||||||||||||||||
五郎 | 何の出来るはづがあらう。 | ||||||||||||||||||||||||||||
みね | そんなら何となされます。 | ||||||||||||||||||||||||||||
五郎 | 何とゝ云ふて仕様が無い。私はこれから――旅へ行く。 | ||||||||||||||||||||||||||||
みね | 旅へとはそりやどこへ。 | ||||||||||||||||||||||||||||
五郎 | さうぢやあのお蔭参り。 | ||||||||||||||||||||||||||||
みね | 気楽な事を云はしやんすな。そこどころではござりませぬ。 | ||||||||||||||||||||||||||||
五郎 | いや所詮これといふ当はなし、それよりはお伊勢様、お参りでもして見たら、また好い事があろも知れぬ。あ此世は誰のお蔭やら、目当も知れぬお礼参り、一人旅ぢや心がせく。 | ||||||||||||||||||||||||||||
みね | まあ待つて下さりませ。何やら胸が騒いで来た。こりや止めて下さりませ。お金の工面も私の身をどうかしたら出来ませう。 | ||||||||||||||||||||||||||||
五郎 | エイ仮令餓死すればとて、娘を売って食う様な五郎兵衛は親ぢやないわい。 | ||||||||||||||||||||||||||||
みね | それぢやと云ふて此せつぱ。 | ||||||||||||||||||||||||||||
五郎 | それもどうかなるであらう。もう私の事は心配すな。 | ||||||||||||||||||||||||||||
みね | それではどうでもお参りに? | ||||||||||||||||||||||||||||
五郎 | オゝお礼やらお詫びやら――そなたにも済まなんだ。堪忍してくれ堪忍してくれ。 | ||||||||||||||||||||||||||||
みね | エイ気になる事ばかり、短気な事なさるのではござりませぬか。 | ||||||||||||||||||||||||||||
五郎 | 何の短気――気長う遠い旅をする。これは僅かばかりぢやが、当分の暮しにしや。 | ||||||||||||||||||||||||||||
財布を渡す
みね | そしてあなたの路用は? | 五郎 | 一文無しで行ける旅ぢや、それよりは跡の事、必ず必ず身を落すな。 | みね | それは洗濯賃仕事、何なりとして行きますが、早う帰つて下さりませ。 | 五郎 | 帰りたいは山々ぢやが劒の山か、血の池か―― | みね | エイ。 | 五郎 | 死だと思ふて回向して―― | みね | えい 元の悪い事云はしやんす。こりや是非止めて下さりませ。 | 五郎 | いやいやどうも止められぬ。そなたは随分無事に居や、親は無くとも子は育つ、こんな親は無い方が好い運がまはつて来う。蔭ながら祈るぞよ。 | | 行きかける | みね | これまあ待つて下さりませ。 | 五郎 | いゝや止めるな、さらばじやわい。 | 振切つて入る
| みね | あれ父様、待つて下さんせいなあ。 | | 追ひかけて入る
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